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フォーラム山形、あるいは「地方の王国」の民主化運動――「東北の春」に向けて(04)

■市民がつくった東北の映画館

今回は「フォーラム山形」について書こうと思う。「フォーラム山形」とは、山形市香澄町に位置する街の映画館。40年前の山形の若者たちが、自主上映サークル「山形えいあいれん」の5年にわたる地道な活動を経て、「自分たちの映画館がほしい!」との思いから市民出資形式でつくりだした〈市民の映画館〉である。以来、山形を皮切りに、福島、盛岡、仙台、八戸、那須塩原、東根と〈市民の映画館〉を開館させていく。「フォーラムネットワーク」である。そのはじまりの場所が、昨年30周年を迎えた。

■「フォーラム山形」との出会い

筆者は現在、山形市内に拠点をおき、若い世代の居場所/学びの場づくりをテーマとする市民活動を行っている。具体的には、ヤマガタに存在するさまざまな市民活動や文化活動とつながり、彼(女)らに力を貸してもらいながら、協働で学びの場を開き、そこに、学びから疎外されがちな若い世代を招き入れ、ともに地域内のユニークな価値や異文化を学んでいく、というものである。

「フォーラム山形」とは、そうした市民活動の過程で出会った。以来、ドキュメンタリーの自主上映会をはじめ、「シネマカルチャー・サロン」と題した、上映作品を観て感想や意見を語りあう集まりを、「フォーラム山形」を拠点に、いわばその軒をお借りする形で継続的に実施してきた。もう六年目になる。

私たちの居場所/学びの場づくりの取り組みには、当初それを耳にした人たちよりさまざまな懐疑の声が寄せられた。曰く「ヤマガタは文化水準が低いからムリ」とか「仙台や東京じゃないヤマガタでは必ず失敗する」とか。現在も変わらずこの地域の人びとの間に通奏低音として流れているアレである。

それらには心底うんざりさせられた/ているが、しかしその一方で、時おり「いいねそれ、おもしろそう!」という変わった反応をもらうことがあった。根が小心者な私たちであるため、そうした声は思いのほかありがたく、それらに支えられて、か細い歩みをかろうじて続けてくることができたのだと思っている。

興味深いのは、そうした変わった反応をくださる人びとの多くが、「フォーラム山形」とそこにつながる人びとだったという事実である。このことは、いったい何を意味しているのだろう。

■アクティヴィズムとマルチカルチュラリズム

思うに、「フォーラム山形」という場とそこにつながる人びとには、ふたつの重要なモチーフが共有され、継承されている。第一にそれは、「観たい作品を上映できる映画館を自分たちの手でつくってしまおう!」というアクティヴィズムであり、第二に、上映作品の多様性――自前の場ゆえに可能――が保証するマルチカルチュラリズム(多文化主義)である。それらが発するメッセージは、一言でいうと、「いろんなありかたがあってよいし、なければつくりだせばいい」というものだ。

都市社会学の知見によれば、この種の寛容さや自由は、そこに暮らし活動する人びとの想像力(イマジネーション)や創造性(クリエイティヴィティ)に直結する。若者支援に取り組む私たちの活動も、そうした寛容さがあればこそ可能になったものだ。ここでいう都市の文脈――寛容性の中心――を、ヤマガタという街において具体的に担保していた場こそ、「フォーラム山形」という存在ではなかっただろうか。これが、ヤマガタの一活動者である私の辿りついた、ひとつの仮説である。

■「地方の王国」の「民主化運動」?

40年前にミニシアター運動を開始し、それを「フォーラム山形」という映画館に結実させた当時の若者たちの語りを紐解くと、もともと彼(女)らにあったのは、「映画文化の空白地帯だったヤマガタに良質の映画館を!」という思いだったという。だが、そうしたエピソードを、運動が活発に行われ「フォーラム山形」の開館に至る80年代はじめの文脈においてみると、また違った図柄が浮かび上がってくるように思われる。

当時のヤマガタは、メディアと経済と政治とがある人びとの手に握られ、一元的かつ効率的な統治が敷かれていた開発独裁の時代。中央の政府・資本による収奪から地域を守るために独自の発達を遂げた「地方の王国」である。そこで暮らすということには、独特の閉塞や鬱屈が伴ったはずだ。当時の若者たちがそれらから逃れ、自由というものに触れる機会を、映画や映画館が提供していたとしたらどうだろう。彼(女)らの運動は、一種の「民主化運動」――「プラハの春」ならぬ「ヤマガタの春」?――であったといえるのではないか。

■「民主化運動」のバトン・リレー

「フォーラム山形」とそこにつながる人びとによって支えられ、動機づけられることで、ひと世代下の活動者である私たちは、私たちなりの活動を立ち上げ、続けることができた。その活動も一区切り。次は、私たちが受け取ったバトンを誰かに手渡す番である。言わば、「民主化運動」のバトン・リレー。果たして私たちは、私たちの下の世代の人びとにとっての「フォーラム山形」になれるだろうか。

(『みちのく春秋』2015年春号 所収)

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