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「子どもたち」の3.11――森健『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』(文春文庫、2019年)

東日本大震災の直後、津波被害の大きかった岩手県大槌町と釜石市を訪れたジャーナリストの著者。その惨状をどう伝えるかを考え抜いた末に、彼は被災地の子どもたちに作文を書いてもらい、それをまとめるというアイディアを思いつく。実際に岩手、宮城の50か所以上の避難所を回り、85本の作文を受け取り、それをもとに2011年6月末に刊行されたのが、月刊「文藝春秋」臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人の作文集』というムックである。

本書は、この作文を書いた小中高生とその家族の人びとと著者がその後半年余りにわたって交流を重ね、見聞きした7つの被災地家族の物語を綴ったノンフィクションである。本編は発災の半年後までの動向をまとめたものだが、その後も「つなみ」の子どもたちの作文収集・刊行は続き、著者は彼(女)らとその家族に思いを寄せ、そのもとに通い続ける。災後9年目に文庫化された本書には、「増補 あれから八年間の日々に」として、その後の子どもたち(とその家族)の歩みが追記されている。

本書の特徴は、何よりも「子どもたち」という視点から3.11を捉えた点にあろう。さまざまな資格や能力を備えている(とされる)大人たちと違って、子どもには選択や行動の自由が乏しい。発信する力や場があるわけでもない。彼(女)らはいったい、あの津波とそれに続く日々をどう経験し、そこで何を思っていたのだろうか。本書では、6人の「つなみ」の子どもたち――例えば、幼い妹と避難所に取り残され、ほかの家族と再会するまでの数日間、過酷なサバイバル生活を経験した男子高校生、帰ってこない母を探し続け、心を病んだ父を支える女子小学生など――とその家族の物語を通じて、「子ども」という被災弱者のリアルと、にもかかわらず苦境に立ち向かっていく彼(女)らの姿が描かれている。7人めの牧野アイ(とその家族)の物語は、昭和三陸津波のサバイバーであった彼女とその娘たちによる東日本大震災の経験を綴ったもので、災害というものがそれを経験した「子どもたち」によってどのように語り継がれ、次の世代の経験に活かされたかの証明となっている。きっと、3.11の「子どもたち」のなかから、未来の「牧野アイ」が生まれてくるのだろう。これこそ、本書が「子どもたち」に見出した希望であろう。

加えて、そうした希望の連鎖を可能にしている「作文」というメディアについても興味深い。東北で「作文」と言えば、大正期以来の「生活綴り方」の伝統がある。本書では触れられていないが、そうした地域に底流する無意識も本書(とそれが誘発したさまざまな支援)を可能にした文脈であったのではないか。一方で、さまざまな被災家族の物語が「家族の絆」といった表象へとやや安易にまとめられているのが気になる。「絆」の初期値が高かった家族の子どもだからこそ「作文」に応じることができ、それをきっかけにさらなる支援にあずかれたという側面はないだろうか。だとするなら、「作文」に応じ(ることのでき)なかった子どもとその家族には、まったく別の物語があったのではないか。東北ではそれが強かろうというのも、それが失われた都市部の人間による理想の投射ではないか――国内植民地へのオリエンタリズム?――と疑わしくもなる。そうした視点をも随時補いながら読むとよいかもしれない。3.11が「東北」で起こったことの意味とは何であったのか、それを考えるのに適した一冊である。(了:2024/02/18)

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