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「家族」はいま、どうなっているか

■「家族」とは誰のことか
 大事なものは何ですかと訊かれたら、あなたは何と答えますか。「家族」と答えるのがひとつの定型句のようになっている昨今ですが、さてでは、あなたにとってその「家族」とは誰のことでしょうか。自分にとって「家族」とは○○だ、と感じるものをマインドマップ形式で手もとに書き出してみてください。
 マインドマップとは、頭で考えていることを可視化しつつ整理していく発想法のひとつです。無地の紙の中央に掘り下げたい概念のワードを置き、そこから連想されるキーワードやイメージを放射状に書き出し、つなげていくというもの。中央に自分の名前を書き、「家族」だと思うものを書き出してみてください。
 筆者の場合、山形市内でいっしょに暮らしているパートナー(事実婚の相手のこと)とハリネズミ、東根市内にある実家で生活している父と母が、自分にとって「家族」と感じられるものです。強いて言えば、実家によく出入りしている妹とその子どもら――天童市内に住んでいます――もそこに入るかもしれません。
 みなさんの場合はどうでしょう。ひととおり書き出したら、そこで「家族」とそうでないものをわける基準になっているものが何かを改めて考えてみてください。同居や血縁、法律が認めているかどうか、さらには人間以外のもの、すでに亡くなった誰かが入ることもあるでしょう。あなたの場合の基準は何でしたか。
 このように、「家族」の定義は難しい。実際、法律もまたその定義に苦労しています。民法にあるのは「親族」規定で「家族」のはありません。唯一、特定秘密保護法(2013年公布)に「家族」規定――配偶者(事実婚含む)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれら以外の配偶者の父母及び子――があるのみです。
 では、社会学ではどうでしょうか。社会学では「家族」を再帰的なプロジェクト――自分たちが「家族」と捉えるものが家族――として理解します。人びとの認識や理解は、時代や社会によって変わりますので、当然「家族」のありようについても時代や社会によって変動するものという捉えかたになるのです。
 
■現代日本における「ふつうの家族」
 さてでは、現代日本の社会における「家族」というのは、家族のさまざまなバリエーションのなかでどういった位置づけにあるのでしょうか。まずは、私たちの社会における多数派(マジョリティ)のありようから見ていきましょう。現代日本の「ふつうの家族」とはどんなかたちをしているのでしょうか。
 日本人の多くがイメージするのは、サラリーマンの夫と専業主婦の妻、未婚の子ども二人からなる四人世帯でしょうか。「近代家族」――愛情で結ばれた核家族――とも言いますが、マーケティングリサーチャーの三浦展は、彼(女)らが中流意識をもち郊外住宅地に住むこともあわせ「郊外中流核家族」と呼びました。
 この「郊外中流核家族」が「ふつう」とイメージされているのは、かつてそれが「標準家族」とされ、それを基本単位としてさまざまな政策や産業が構成されてきたことに由来します。それらは高度経済成長の時代に地方から上京した団塊世代によって生み出され、昭和の終わりまで全体の60%を占めていました。
 この「ふつう」が、平成の30年の間に次第に変化していきます。国民生活基本調査(2019年)によると、核家族は全世帯の約30%にまで縮小。そこにかつて核家族であった人びとのその後――子がいないか離家して夫婦のみとなった世帯、ひとり親と未婚の子のみの世帯など――を含むと60%になります。
 一方で、夫婦のみ世帯でどちらかが亡くなるか、もしくは生まれた家族(生育家族)から離れてはいるが、新しい家族(創設家族)をつくらず独身状態にある人――単独世帯――が急増しています。先の調査では約30%にのぼり、核家族の割合を上回りました。現在は、ひとり世帯が「標準」化しつつあるのです。
 このことの課題は明白です。「家族」はさまざまな機能を担っています。現在はとりわけ、子どもやお年寄りなど自分だけで生きていけないメンバーの生活保障やケアの役割――「家族福祉」といいます――が重要となっています。しかし、縮小した家族でそれを達成するのは困難。どうしたらよいのでしょうか。
 
■現代家族の機能とは?
 家族のありようは時代や社会によってさまざま、とざっくりお話してきましたが、ただ無秩序にさまざまなかたちが分布しているわけではありません。家族のかたち、そしてその変容には自然史的なプロセスが存在します。社会学はこの過程を「家族の機能解除」――近代化の裏面――として理解してきました。
 そもそも「家族の機能」とは何でしょうか。歴史的にみて、家族は人びとが生きていく上で必要不可欠なさまざまな機能――①祭祀機能、②保護機能、③裁判機能、④経済機能、⑤社会化機能、⑥再生産機能――を複合的に果たしてきました。時代とともに、これらは徐々に外部の組織や集団に移譲されていきます。
 順番にみていくと、まずは①祭祀機能――死者の霊を祭る役割――が外部化されていきます。そうして発達していくのが教会や寺社などの各種宗教団体です。次に解除されるのが②保護機能――外敵から成員の生命や安全を守る役割――で、それが外部化されて軍隊や警察が発達していきます。
 次が③裁判機能(成員間またはそれ以外との争いごとを収める)の解除で、その外部化が文字通り裁判所となります。ここまでは機能解除の完徹ゆえ、現在それらの残滓を家族に見出すのは困難ですが、次の④経済機能あたりからは機能解除が未だ進行中ゆえ、現在もなお家族のうちにそれを確認することができます。
 ④経済機能(成員みんなを食べさせる役割)が外部化されて生まれてくるのが企業で、⑤社会化機能(次世代を育成する役割)の外部化の帰結が学校です。現在なお随所に見られる職住近接の家族経営、家庭教育などからわかるように、家族はこれらの機能を保持しつつ、必要に応じて外部を利用しているわけです。
 そして、いまだ移譲されざる――これからも当分は家族が中心的な担い手であり続けるであろう――役割が、⑥再生産機能(いのちを産み、つなぐ役割)です。再生産とは、狭義には生殖、広義にはケア(育児・家事・介護を含む)を意味します。「近代家族」はこれを、専ら「主婦」化した女性に担わせてきました。
 
■「親密圏」あるいは「ネットワーク家族」というアイディア
 かつての家族は、その規模や範囲の大きさゆえにさまざまな役割を果たすことができました。しかしもうそれは難しい。例えば、かつては「ふつう」だった三世代家族も――山形県は国内トップで今なお約30%が該当――高度成長期の「核家族」化、平成期の「おひとりさま」化で全国的には希少種となりました。
 核家族どころか、単独世帯が「ふつう」になりつつある現状を考えると、ケアに必要な資源の調達を家族任せにするのはどう考えても持続不可能です。しかし、「近代家族」の規範――ケアは愛情に基づき家族(具体的には女性)が担うべき――が「標準」化しているため、なかなかそこから自由になることができません。
 求められているのは、「近代家族」の規範を緩め、家族外の人びとと連帯・協同してケアをつくりだしていく共助の実践であり、実はそうしたとりくみはそれぞれの現場ですでに活発化しています。この多様な助け合い、ケア・ユニットのありようは「親密圏」あるいは「ネットワーク家族」として概念化されています。
 「親密圏」とは、政治学者の齋藤純一によれば、「具体的な他者とのあいだの、関心と配慮によって結びつく持続的な関係性」を意味します。血縁でも同居でもなく、「関心と配慮」が結合の根拠です。具体的には、グループホームや共同保育、セルフヘルプ・グループ、同性愛カップルなどがそれにあたります。
 また「ネットワーク家族」とは、「ポスト近代家族」としての現代家族を表す概念です。内/外の境界がはっきりしている「近代家族」と対比したとき、それが不明瞭で可変的な諸資源のネットワークとして現代家族を捉えることができます。必要に応じて諸資源を組み合わせ、臨機応変にケアを達成していくわけです。
 現在、家族はそれぞれに自助・共助のかたちの最適解を模索しながら諸種のリスクに対処しています。さらにはその試行錯誤を支えるケアの社会化のしくみとして、介護保険や地域包括ケアシステムといった地域福祉の諸制度が実装されています。現代における「家族」の多様性というのはその表れでもあるのです。(了)

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