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「意味不明なもの」の意味を問うこと、を問う――「東北の春」に向けて(24)

4月以来ずっと博士論文の執筆にとりくんできた。テーマは「居場所づくり」。1980年代以後、各地で市井の人びとが始めていくようになる実践で、もともとは「不登校の子どもたち」へ寄り添い、彼(女)らが引け目や罪悪感をもたずに居られる場所を物理的・社会的に地域のどこかに開くとりくみとして始まったものだ。

筆者自身がそうした実践に2000年代に出会い、その思想や行為に共鳴するかたちでとりくみに身を投じていった一人である。当時、山形県内の運動を牽引していた「不登校親の会山形県ネットワーク」のフリースクール設立構想を知って合流し、気づけばその事務局の責任者になっていた。2000年の春だった。

以来、約20年におよぶ「居場所づくり」とのつきあいが始まっていく。当初かかわっていたフリースクールからは2年で離れ、そこでの違和感などをヒントに、「ぷらっとほーむ」を2003年に設立する。その活動も昨年には幕を下ろし、現在は一連の経験をふりかえって解釈しつつ、論文にまとめようとしているわけだ。

現在はひととおり全体の草稿を書きあげ、それを指導教員や「居場所づくり」の関係者、「よりみち文庫」で開催している市民ゼミの参加者の方がたなどに読んでもらい、いただいた感想・批評などをもとに推敲を行い、少しでも完成度を高めていくという段階である。そのさなかで、実はある迷いが生じている。

きっかけは「そもそもこれを「研究」って言えるの?」という一言。ある対象についてのデータを集めることを「調査」という。その意味で、「ぷらっとほーむ」というゼロ年代やまがたの「居場所づくり」実践をめぐるぶ厚いデータを収集し、その意味を解釈した当方の論文が「調査」であることは疑いない。

しかし、「調査」と「研究」は決してイコールではない。「研究」にあって「調査」にはないものがひとつある。それは「問い」である。そこにはいったいどんな「謎」や「問い」があって、それを明らかにしたいと考えているのか。その「問い」は、身内や内輪の関係者以外の人びとにも共有可能なかたちで示されているか。

おおよそそういったことが批判されていたのだろうと考えている。もちろん「問い」が不在なわけではなく、それが誰の目にも明確なかたちになっていないことが問題なのだろうということである。「問い」が明瞭ではないことの自覚は筆者自身にもぼんやりとある。

しかし、ここにはあるジレンマが存在する。「ぷらほ」のような素材は、それを扱おうとすると必ずのように「そんなものを扱う意味は?」を問われる。それこそ、研究を通じて明らかにしていきたい当のものだ。しかし、明示できなければ研究ができず、研究できなければ明示もできない。悪循環のデッドロックだ。

ところで、こうした「意味を問う」ふるまいというものは、「居場所づくりについて考える」といった「よく意味のわからない研究」に対してのみならず、その対象となっている「居場所づくり」の実践そのものに対しても頻繁に投げかけられてきた問いである。私たちは、そうした「意味を問う社会」のなかで生きている。

「意味を問われる」のは、それが公共に触れているためである(誰かの私的な趣味について他人がその意味を問いただす等ということはそんなにはおこりえない)。わかりやすいのは、その実践や研究が公的な支援を受けているというケース。その場合、「意味のない」ものに自分のお金が使われていることになるからだ。

気になるのは、「意味不明なもの」の意味を問い、「意味がわかる」に変換することが意味しているのは何か、ということである。「意味がわかる」ものたちであふれた社会とは、意味の牢獄ともいえる世界だ。それを回避したければ、「意味がわからないもの」たちにそのまま居場所を与えることこそが必要ではなかろうか。

そのように考えてみると、筆者のなかには、「居場所づくり」の実践そのものにおいてと同様、それを研究する際にも、「意味を問う社会」の過剰さに対する抵抗があるのだとわかる。しかし、そのことをどのように「意味を問う社会」に対して示していけばよいのか。模索は続いていくのである。

(『みちのく春秋』2020年秋号 所収)

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