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「いないことにされたものたち」の声を聴く――古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』(新潮文庫、2018年)

著者は、福島県郡山市出身、東京都内在住。かつて「東北」をテーマに超長編『聖家族』(新潮社、2008年)を上梓した小説家である。2011年3月11日より始まった〈東日本大震災〉に際し、そのとき取材で京都にいたという著者のもとには、その直後よりさまざまな発言機会がもたらされる。東北出身の、福島出身の人として、いま何を思いますか、と。本書は、著者によるその返答の言葉の集積である。2011(平成23)年7月に刊行された。

著者自身を語り手とする、一見してルポルタージュふうの導入。京都から急ぎ東京に戻った彼は、新潮社の協力を得て、3人の編集者とともに、4月はじめに福島県浜通り地方への旅を試みる。そこには、実はもうひとりの見えざる同行者がいた。彼の名は、狗塚牛一郎。『聖家族』の主人公にして、「東北」の正史を記憶する家の嫡男である。彼の眼に、この度の災禍――とりわけ福島第一原発事故による放射能災害――はどう映るのか。彼と著者との対話が始まる。

本作のキーワードは〈馬〉だ。「東北」の歴史を語り直す際に彼らが視座を据えるのが〈馬たち〉である。例えば、被災した相馬市や南相馬市、新地町、浪江町、葛尾村、飯館村、双葉町、大熊町をその藩域とした相馬(中村)藩は、その名の通り、〈馬たち〉とともに歩んできた土地だ。〈馬たち〉は語る言葉をもたない。ならば、誰かが彼らの代わりに何がなされてきたのかを語らねばならない。

これは鎮魂の書である。「東北」の〈馬たち〉は「まつろわぬ者たち」として日本国の正史からその存在を消去されてきた。福島第一原発事故とそれに続く13年間は、そうした排除史の延長にすぎない。「それでも」と言いうるためには、語る言葉をもたぬ〈馬たち〉のつぶやきに耳をそばだて、そのささやきを聴き、彼らが存在したこと、なおも存在していることをまずは知らねばならない。そのうえでようやく、3.11の歴史実践が可能となるだろう。(了:2024/05/12)

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