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そもそもそのタイトルに「美意識」はあるか?――山口周『ニュータイプの時代:新時代を生き抜く24の思考・行動様式』 (ダイヤモンド社、2019年)評

これまで高く評価されてきた、従順で、論理的で、勤勉で、責任感の強い「優秀な人材」は、これからの時代、急速に価値を失っていく。一方で、それらに対置されるような、自由で、直感的で、わがままで、好奇心の強い人材が、今後は大きな価値をうみだし、評価されるようになっていくだろう。前者を「オールドタイプ」、後者を「ニュータイプ」と位置づけ、社会構造やテクノロジーにおいて激しい変化に曝されつつある現在、前者としての思考・行動様式をアップデートし、後者として生きていこう。これが、本書の骨格となるメッセージである。

著者は、「外資系コンサル」出身で、たくさんの「ビジネス書」を量産する売れっ子作家。『世界のエリートはなぜ「美意識」を整えるのか?』(光文社新書、2018年)、『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社新書、2019年)など多数の著作があるが、いちおう本書は、それらで示した個々の論点を総合し、位置づけるためのある種の全体図として書かれている点が特徴である。ビジネスエリート向けに「アート」や「美意識」の重要さとその意味を説くのがこれまでの主なメッセージだったが、それはビジネスエリートに限った話ではないよ、と風呂敷が広げられる。

では、その「ニュータイプ」とはどんな感じの人物像なのか。正解を探すのではなく「問題を探す」、予測するのではなく「構想する」、KPI(重要業績評価指標)で管理するのではなく「意味を与える」、生産性を上げるのではなく「遊びを盛り込む」、ルールに従うのではなく「自らの道徳観に従う」、ひとつの組織にとどまるのではなく「組織間を越境する」、綿密に計画し実行するのではなく「とりあえず試す」、奪って独占するのではなく「与えて共有する」、経験に頼るのではなく「学習能力に頼る」というのが、著者のいう「ニュータイプ」の思考・行動様式である。

率直に言って、「懐かしい」という感想を抱いた。著者の主張そのものに異論があるわけではない。筆者は団塊ジュニアで90年代に学生時代をおくり、そのころずいぶんこうした類の本を読んだが、この手の言説市場は変わらず存在するのだなと感慨深くなった。それはもちろん、平成の30年間、私たちの社会が旧態依然とした思考・行動の様式のアップデートに失敗し続けてきたことの裏返しということであろうし、だからなおこうした古びた主張や図式が「商材」として成り立ち続けているのであろう。だが、ここで指摘したいのはそれとはちょっと異なることである。

筆者がかつて触れた90年代の「新時代」言説は、80年代に論壇市場を席巻した「ポストモダン」が大衆向けに希釈され放出されたものだった。とりわけ筆者は「ポストモダン」を「女子高生」に仮託した宮台真司にハマった。だが、あれから四半世紀がすぎ、そうした言説実践が社会にもたらした影響もまた明らかとなった(80年代「ポストモダン」ブームの成れの果てがオウム、90年代「女子高生」ブームの帰結がメンヘラ化)。もちろん同じことがただ反復されるとは思わない。だとしたら、2010年代のそれはこれからの社会にどんな負荷を残すことになるのだろうか。(了)

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