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「接続する」という技法。

■先月に引き続き、当事者の親の会での講演の場でのやりとりの中から話題を提供したいと思う。私を講師として呼んでくれた親の会が活動するその地域には、(不登校・ひきこもりなどの)子ども・若者たちが利用可能な居場所が身近に存在していない、とのこと。だからこその、自前の居場所を草の根で立ち上げていくための学習会。当然、私の話題提供に対しても、さまざまな角度から、具体的な質問があった。前回に引き続き、ここで再度展開しよう。

■例えば、こんな質問。「私たちの地域には、まだ具体的に利用可能な居場所がない。存在しないなら自分たちで創るしかない、ということは十分承知している。そのための勉強だって始めたところだ。だが、今すぐそれが創れるわけではない。だとすれば、今まさに居場所を必要としている子ども・若者たちはどうすればよいのか」というもの。これに対し、「問題は長期的な構えと視座が必要。ゆえに耐えよ」なる原則論は無効だ。そんなことは前提にした質問だからだ。

■ではどうするか。私たちの考えはこうだ。すなわち、「居場所」なるものを、必ずしも固定的にとらえる必要はない。いわゆる「フリースクール」や「フリースペース」だけが、(不登校・ひきこもりなどの)若年が利用可能な居場所であるわけではない。その人がそこを自らの居場所にしてもよいと感じられる場所(あるいは何らかの関係性)であれば、そこはその人にとっての居場所たりうる。要は、居場所を「実在」としてではなく、「機能」として捉えましょう、ということだ。

■居場所を「機能」として捉える、とはどういうことか。繰り返すが、私たちは居場所の構成要件として、①自分が望む自分でいられること、②自分の置かれた環境に対してアクセス可能なこと、の二つを考えている。ということは、これらの条件が満たされてさえいれば、そこはその人にとっての居場所の機能を果たしている、と言える。会社や学校、家族が居場所の人もいれば、趣味のサークルや市民活動が居場所の人もいよう。そう考えるなら、利用可能なリソースは拡大するはずだ。

■居場所は必ずしも「フリースクール」や「フリースペース」でなくてよい。地域には、多様性に寛容なさまざまな関係性が存在する。ボランティア団体然り、ファンクラブ然り、趣味サークル然り。緩やかな刺激を得るには格好の関係性だ。これを利用しない手はない。訪れた人たちをフリースペースの内部に抱え込むのではなく、そこから多様な関係性へと接続すること。各自を、自分に固有の居場所づくりの試行錯誤へといざなうこと。これもまた私たちの方法なのである。

※『ぷらっとほーむ通信』030号(2005年10月号) 所収

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