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住民主体の地域再生現場――結城登美雄『地元学からの出発:この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』(農文協、2009年)評

著者は、「東北むら歩きの旅」と称し、長年にわたって中山間地の農林漁村約600箇所を聞き書きして回ってきたという大江町出身の民俗研究家。本書は、そんな著者の、この10年間における全国各地の地域再生の現場をめぐる旅の記録である。宮城県旧鳴子町「鳴子の米プロジェクト」や本県真室川町「食の文化祭/食べ事会/うつわの会」、金山町「谷口がっこそば」など、東北を中心に、全国各地の地域再生の事例が豊富に扱われている。

本書の事例は、一般には「地域づくり」として知られているものである。その定番はこうだ。まずは中央行政により、地域活性化の「成功事例」がモデル化される。次にそれに詳しい「専門家」が地域を訪れ、すぐに商品化できそうな資源を「発見」。それをもとに、行政・学者・資本が一体となって都市向け規格品の大量生産・消費システムを構築。その結果、地域経済が回復する、という筋書きである。だがそこには、地域の主体であり当事者である住民たちの姿がない。当然ながら、それでは長期持続は不可能である。

本書の「地元学」は、そうした「地域づくり」に異を唱える。地域再生の目的は経済効果に限らない。あくまで中心は、そこに暮らす人びとのQOL(生活の質)の総体的な向上にある。地域資源発掘も、本書ではその観点から評価される。例えば、資源には「加工して持ち出して売れるもの」に限らない、その場所に固有の知識や技術、習慣や文化なども含まれる。「わが家の自慢料理」だって貴重な地域資源である(観光資源になりうるという意味で。あるいは、その掘り起こしの過程で人びとに学びと承認とを与えてくれるという意味で)。それらは地域の当事者ならではの視点だ。「地元学」が当事者性にこだわる所以である。

構造不況と財政危機と人口減少とが常態となるこれからの日本社会。人任せにできる余地はもうどこにもない。そんな中、私たちがこの「地元」でできることは何なのか。本書には、そのヒントが濃密に詰まっている。(了)

※『山形新聞』2010年03月28日 掲載

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