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46.新藤がここにいる理由


「そう。やっぱり・・・」

 新藤のお母さんは呆れた顔をしていた。

 あの後、新藤はなんとか車椅子に戻った。車椅子に座った後は、ずっと運動場を眺めていた。僕らに近寄る度胸はなかった。

「あの子の事だからきっとそうしてるんだろうと思った。いつもそうなのよ。心配させたくないから、いつもそうやって・・・」

 新藤のお母さんは溜息を吐いて考え込んだ。そんなお母さんに新藤の容態の事を尋ねると、お母さんは話してくれた。

 今の新藤は病院での注射と鍼治療で様子を見ているとの事だった。少しずつだけど回復はしていて、痛みや痺れの間隔も空いてきている。でも痛みや痺れは突然襲ってくるみたいで、そうなると自力での歩行は無理だそうだ。だから外出には必ず車椅子を使っている。

「この症状は予想がつかないらしいの。手術も考えたけど、リハビリでも改善できるみたいだから、それで今は様子を見ているの。現に、この症状で悩んでいたスポーツ選手もいたけど、その選手は諦めずにリハビリをしたお蔭で今も現役で活躍している。だから決して絶望的な故障じゃないの。諦めなければ絶対に良くなる。だから心配しないで。あの子ならきっとやってくれると思う」

 それを聞いてかなり安心した。さっきの新藤を見た時は、もう二度と走れないのかと思ってしまった。

「でもね、あの痛みは本当に辛そうなの。いつも痛みがくると私を追い出そうとするの。自分が痛がる姿を見せたくないみたい。心配させたくない気持ちは分かるけどね、今みたいに勝手に車椅子で外に出るもんだから・・・」

 お母さんは深い溜息と一緒に「もうそっちの方が心配よ」と声を吐いた。悩みの種は尽きないみたいだ。そんなお母さんに僕は前々から気になっていた事を訊きたくなった。

 どうして新藤があれだけ過酷な練習をするのかと。

 皆に止められても、身体の異変があっても、それでも新藤は意固地に頑張ってきた。

 そんな新藤を見ていると、どうも気になる所があった。ハングリー精神が凄いのもあるかもしれないけど、何か、並々ならぬ思いがあるんじゃないかって。

 それで僕は率直に思っていた事をお母さんにぶつけてみた。

 お母さんは静かに僕の話を聞いていた。

「・・・あの子はね、優し過ぎるの」

 そう言うとお母さんは話し始めた。

「私がね、向こうでの生活に耐えられなくなったの。ここに住む母親が体調を崩すようになったから、面倒も兼ねて、当面の間この島に戻る事にしたの。本当は私だけがここに戻るつもりだった。でも、あの子は私を心配して、ついてきたの・・・もちろん、父親は大反対。もう怒り狂って叫ぶの。お前は人生を捨てるのかって・・・あの時、孝樹には色んな高校からスカウトの話がきてたの。その話を蹴って島に住むのを選んだあの子の考えが、あの人には理解できなかったみたい。正直、私も孝樹の事を考えたら向こうでの生活が良いと思った。だから私もあの子には何度もついてこないでいいって言ったの。それでも孝樹は首を振るの。多分、おばあちゃんの事も気になったんだろうね。もう、父親が何を言っても頑として首を振るの。まったく、誰に似たんだか・・・あの頑固さがなかったらもっと楽に生きられるのに」

 新藤のお母さんは呆れたように笑ったけどすぐに深刻そうな顔に戻った。

「でもね、あの子は父親の事も大好きなの。あの人の背中を追いたくて長距離を始めたの。一緒に練習している時は本当に嬉しそうだった。あの人もそんな孝樹に喜んでいた。陸上選手としてどんどん成長していく孝樹を本当に喜んで見ていた。孝樹なら自分の夢を叶えてくれるかもしれないと目をキラキラさせてね・・・あの人はマラソンでのオリンピック出場をずっと目標にしていた人なの。でも結局は叶わなくてその夢を孝樹に託した。だから、孝樹が私との生活を選んだ事が許せなかったの。あんな辺鄙な所で速くなるわけがないって、そればっかり。それでも孝樹が折れないもんだから、あの人は私を責めてきたの。お前のわがままの為に息子まで巻き込むなって。それで、その時にね、孝樹がこう言ったの。俺が速くなれば問題ないだろって。もうあの子は意固地にそればっかり言うの。それであの人も泣く泣く諦めた。愛想を尽かしたような感じだったけどね・・・」

 お母さんの顔は暗かった。涙目になっている。

「本当に孝樹には可哀想な事をしたと思う。あの人の言う通りよ。私のわがままのせいであの子まで巻き込んでしまった。元々は私が我慢してれば良かったの。でもね、無理だった。どんな手を使っても私はあそこから離れたかった・・・」

 お母さんが鼻を啜り始めた。一度、息を整えた。

「きっとね、あの子は私達を元に戻す為に走っているの。自分が速くなれば私達はきっと良くなると思っている。あの子を見てたらそんな気がするの。だからあの子は一生懸命練習して、この島で速くなった姿をあの人に見せようとしてるの。それなのに・・・」

 お母さんがハンカチを取り出して涙を拭いた。

「あんなに孝樹が頑張っているのに、私は自分の生活の事で精一杯。応援にも行けやしない。本当に孝樹に何もしてやれてないの。苦労ばっかりかけさせて・・・今も孝樹が怪我したのにどうしてやったらいいか分からないの。もう本当に情けなくて・・・」

 ハンカチを顔に押し付けたままお母さんはしばらく泣き続けた。

 言葉が見つからない。こんな時に何か言えたらいいけど、僕には思いつかないし、賢人も僕と同じで黙り込んでいる。僕らはお母さんの前で立ち尽くすだけだった。

「ごめんなさいね。こんな暗い話をしちゃって」と言ったお母さんは顔を上げると恥ずかしそうに笑った。

「孝樹はね、いつも駅伝部の話をするの。とても楽しそうに話すもんだから、それで安心するの。ここでも楽しい生活を送れてるんだって。本当に孝樹と仲良くしてくれてありがとう」

 お母さんが深く腰を折ったので、僕らは慌てた。こういう時は何て言ったらいいんだろう。隣の賢人も慌てている。顔を上げたお母さんの顔は微笑んでいた。

「孝樹はね、君達の事もよく話すのよ。練習熱心で面白いようにどんどん速くなってくるって。君が哲哉君よね?」

 お母さんと目が合った。僕は頷いた。

「哲哉君の事は特に気にかけてるの。君の事が大好きみたいよ。だから哲哉君が休部してた時なんかずっと頭を抱え込んでたの。どうやったら部に戻ってくれるのかって。だから哲哉君が部に戻ってきた日なんか、もうとんでもなく喜んでたのよ。お母さんやったよって飛び上がって帰ってきたんだからね」

 胸に、どん、と衝撃がきた。

 胸の中で花火が上がったようだった。弾けた花火が明るい光をふんだんにばらまいて、胸の中は明るい光で満たされている。胸がどんどん温かくなってきているのが分かった。新藤が僕の事をこんなに想ってくれていたなんて思ってもみなかった。

 僕は今すぐにでも新藤に会いたくなった。

 今の新藤は僕に会いたくないかもしれない。会ったとしても無力な僕は役に立たないと思う。

 でも、それでもいい。新藤を想う気持ちだけでも伝えられたら。

 僕は新藤が大好きだ。

 大切な仲間だ。

 だから少しでも力になりたい。

「え、え、じゃあ、あの、お、俺の事は何て?」

 横で嫉妬した賢人がお母さんに詰め寄っていた。お母さんは勿体ぶった顔をしている。

「えーっとね、賢人君はね──────」

 その時、電話が鳴った。お店の電話だった。お母さんが電話を取った。

 お母さんの顔が強張った。

「どこで?」

 緊迫した声だった。焦っていた。「嘘よ。嘘よ」と途中からパニックになった。

「すぐに向かいます」

 電話を切ったお母さんはもの凄い勢いで店を飛び出した。僕らの呼びかけは聞こえてなかった。しかも賢人の自転車に跨って勢いよく道路へ飛び出していった。

 僕らはお母さんの後を追った。

 新藤のお母さんは見えなくなりそうだった。もの凄く速い。僕は立ち漕ぎに切り替えて思いっきり漕いだ。

「哲哉、ちょっと待って・・・」

 振り返ると、賢人は400mインターバル10本目のような顔をしていた。

「ごめん。見失いたくないから」

 僕はさらにスピードを上げた。

 もうお母さんは暗い道の向こうに消えていた。通りを真っ直ぐ進んでいくと、暗い道の先に懐中電灯の光が幾つか見えた。その光が人だかりの中を照らしている。

 確か、あそこは小学校の正門の所だ──────。


 ドクン。


 心臓が大きく鳴った。


 甲高い悲鳴がする。


 僕は急いでそこへ向かった。

「孝樹!孝樹!」

 何度も女の人が叫んでいる。その人は騒然する人だかりの中で膝を突いて叫んでいた。

 新藤のお母さんだった。

 お母さんの腕の中に人がいる。頭が見える。でも顔が見えなかった。

「違うんだ!こいつが飛び出してきたんだよ!俺は悪くない!」

 道路の向こう側で男が叫んでいた。その男は道路の上で何人かの男達に押さえ付けられていた。その人達の向こうで、ぼうぼうに生えた草むらの中に突っ込んだ車があった。ライトを浴びた草むらの周りには胞子のように羽虫が舞っている。

 パッと視界が明るくなった。

 暗かった目の前が白い明かりに照らされた。でもそれは一瞬だけで、すぐに暗くなる。

 また照った。見上げると電柱の街灯が明滅を繰り返している。光が下りる度に現れたのは、逆さまになった車椅子だった。

 背筋が冷たくなる。

 車椅子はひしゃげて無残な形をしていた。

「あいつが悪いんだ!あいつがわざと飛び出してきたんだ!信じてくれ!俺は悪くないんだよおお!」

 男の叫び声に、
 新藤のお母さんの叫び声、
 叫ぶ男を取り押さえる男達からの怒号。

 騒然としていた。人がどんどん増えてくる。

 僕はその場に立ち尽くした。追いついた賢人も僕の隣で立ち尽くした。

 遠くからサイレンの音が聞こえた。よく響いた。音はどんどん大きくなった。

 皆が大きな口を開けている。声は聞こえない。耳の中はサイレンの音で満たされていた。

 切迫した動きをする人達が、まるでスローモーションのように目の前を流れていく。

 皆が赤く瞬いていた。パトライトの赤い光だった。

 赤い光はどんどん濃くなって、辺り一面を妖しく浮かび上がらせていく・・・・・・・。


            つづき

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