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47.悪夢


 蝉の声が煩かった。

 目を開けると、一瞬ここがどこなのか分からなかったけど、すぐに自分の部屋だと分かった。

 時計を見ると、もう11時だった。それで僕が今まで寝ていたんだと思い出して、もしかしたら昨夜の事故は夢だったんじゃないかと思った。

 でもすぐに思い直す。昨日の事は、はっきりと覚えている。長い一日だった。あんなに長い夢があるわけない。

 一階に下りると、玄関にまだ開かれていない朝刊が無造作に置かれてあった。その新聞を持って台所に向かうと、テーブルの上には小さな食べ零しが点々とあった。流しは使ったお皿とかコップが無造作に置かれている。慌てて出掛けたみたいだ。

 昨夜、両親はご飯も食べずに僕の帰りを待っていた。

 帰ったのは夜遅くだった。帰っても寝られなかった。身体は疲れていたのに眠れなかった。あの光景が眠りを邪魔してきた。


 ストレッチャーに乗せられた新藤は綺麗な顔だった。

 ただ寝ているだけなのかなと思った。でも、新藤のお母さんの真っ赤に塗れた腕を見て強烈な戦慄が走った。まだあの色が鮮明に瞼の裏に焼き付いている。

 あの後、現場はもみくちゃだった。多分、集落中の人が集まったと思う。それほど人がいた。新藤は救急車で運ばれて、取り押さえられていた男はパトカーに乗せられていった。僕らはいつまでも動けなかった。

 結局、迎えに来てくれた賢人の父の車で僕らは帰った。今でもあれが現実に起こったものと思えない。


 新聞を広げた。見出しの文字があった。


 飲酒運転で車椅子の少年を轢く 被害者の少年は死亡


 動けなかった。やっと動いたけど自分の身体じゃないみたいだ。

 何かの間違いだと思った。

 同じ日に、同じような事故があった。そう願いながら部屋に戻った。

 スマホを手に取る。

 背筋が凍りつく。

 たくさんの着信やメッセージがあった。

 駅伝部のグループのメッセージを見た。たくさんある中の、ある文字だけが一瞬で目に焼き付いた。その文字を見た瞬間、スマホが手から零れ落ちていった。


 新藤が息を引き取った。


 落ちたスマホが振動している。光った画面には盛男さんの名前があった。手に取って画面をスライドさせる。盛男さんの声が聞こえた。声が頭に入ってこなかった。でも、この声だけは拾った。


 新藤が亡くなった。


 またスマホが落ちていった。次に僕もベッドに落ちていった。

 やっぱりこれは夢だ。それか、今はまだ夢の中で、パッと目が覚めて今日の朝になる。それだ。絶対それだ。でも、いつまで経ってもそうなってくれなかった。

 ずっと待った。

 ひたすら待った。

 その間、涙は止めどなく落ちてきた。

 もう泣くしかなかった。ベッドの上で僕は泣き続けた。泣いてる間も夢から醒める事を願った。嘘であって欲しかった。何度もスマホを見た。でも、メッセージは変わってくれない。いつまで経っても新藤が亡くなったままのメッセージだった。そのメッセージを見ては涙を出した。泣き疲れても、眠くなっても、まだ夢は終わってくれなかった。


 そうして辺りは暗くなっていった・・・・。


 目を開けると、部屋の中が薄暗くなっていた。

 時計を見るともう夕方だった。

 僕は願った。

 さっきのは夢だ。僕は昨日の夜からずっと寝ていて、今、やっと起きた。きっとそう。あれは悪夢だ。

 一階はさっきの夢と全く同じ状態だった。

 テーブルの上に開かれたままの新聞紙があった。見出しがここからでも見えたけど目を逸らした。

 部屋に戻った。

 床に落ちたスマホを手に取った。

 画面には夢と同じ時間の着信とメッセージがある。内容もあの悪夢と全く同じだった。

 がっくりと項垂れた。もう一回眠ろうと思ってベッドに横になった。でも全然眠れなかった。目が冴えていた。

 スマホを見た。あの日からちゃんと一日経って、ちゃんと時間も進んでいる。

 もう駄目だった。このままだと身体がもたない気がした。

 僕はシバを連れて外に出た。

 向かったのは学習の森だった。森に入るとシバを放して僕は走った。

 無心で走った。

 考えたくなかった。考えると新藤がいなくなった残酷な世界を突き付けられてしまう。頭を空っぽにして走るようにした。

 でも、やっぱり出てくる。

 走ったら走ったで出てくるのは、練習の時にいつもあったあの背中だった。

 冷酷無比なあの背中。

 いつも待ってくれなかったあの背中。

 いつだって遠かった。追いつけるわけないと思っていた。

 でもいつかは大きくなってくれると思ってた。でも背中は大きくなるどころかどんどん小さくなった。

 きっといつかは、て思っていたのに。いつまでも追えると思っていたのに。いつだって会えると思っていたのに。

 それがもう終わりなの?もうずっと会えないの?あの背中を見れないの?もうあの優しい新藤を見れないの?


 そんなの嫌だ──────。


 僕は全速力で走った。

 速く走ったら見えるかもしれないと思った。

 新藤の背中が。

 追いかけた。必死で追いかけた。

 まだ見えない。新藤の背中は見えない。

 それもそうだ。こんなスピードだったら新藤に追いつけるはずもない。

 もっと速く走れ。遅いんだよ。何でお前はこんなに遅いんだよ。どうして新藤みたいに走れないんだよ。


 頬に涙が伝ってきていた。


 ダメだった。思いっきり走っても頭を空っぽになんてできなかった。新藤の姿が次々と浮かんでくる。


 笑顔を向ける新藤。
 シバと遊んでる時の新藤。
 真剣な顔でひたむきに走る新藤。
 華麗なフォームであっという間に過ぎ去っていく新藤。
 小さくなっていく新藤の遠い遠いあの背中・・・・・。


 おかしくなりそうだった。涙が出過ぎて呼吸は荒れに荒れている。もう限界だった。僕は走るのを止めた。

 息が落ち着くのを待った。でも息切れが落ち着いても今度は嗚咽が激しくなってくる。

 新藤の笑顔が離れてくれない。

 いつだって新藤は優しかった。いつも気に掛けてくれた。笑って、励まして、引っ張って・・・・。 

 どうして?あんなに優しかった人がどうしていなくなるの?あんなに一生懸命生きていた人がどうしていなくならないといけないの?

 必要とされている人だった。生きてないといけない人だった。

 それなのにいなくなるの? 

 ダメだよ。そんなのないよ。急にいなくなるなんて。新藤はいなくなったらいけない人だよ。やり直せ。今すぐにやり直せ。変わって。お願いだから。新藤を戻してよ。どうかお願いします。何でもしますからあ。

 涙が止まらない。声も出ていた。こんなに泣ける人っているんだろうかて思うぐらい泣いていた。

 もっと一緒に走りたかった。並んで走りたかった。ずっと走れると思ってた。歳を取ってもいつまでも追い続けられると思ってた。それなのに、そんな急にいなくなるなんて。何だよそれ。そんなのないだろ。そりゃないよお。なんて残酷な世界なんだよ──────。
 
「くっそおおお。何でだよお。何でそうなるんだよお」

 悔しい。あまりにも悔しくて僕は堪らず声を上げていた。

 情けない声だった。嗚咽も交じって変な声だった。


 てつや──────。


 ハッとした。


 どこからか声がした。


 新藤の声だった。

 間違いない。

 新藤が僕を呼んだ──────。

 辺りを見渡した。

 もう森の中は暗かった。上から月明かりが差してきている。月明かりの差す所に人影はなかった。

 もう一回探してみた。木の向こうを探してみたけど人影は見当たらない。

 誰もいない。声もしてこない。

 僕以外には誰もいない。

 気のせいだった。

 暗い森の中に僕は一人いる。

 ヒヤッとした。急に寒気がした。月明かりに照らされた誰もいない森の景色が急激に胸を不安で満たしていった。

 こうやって一人、一人と、僕の前から皆はいなくなっていくのだろうか。

 そう思うと僕は恐くなった。

「新藤」

 呼んでみた。

 返事はない。

「新藤」

 静かだった。

「ねえ、助けてよ」

 静かなままだった。

「頼むから。新藤がいないと無理だよ。これからどうしたらいいの?」

 誰も何も言わない。

「お願いだから返事をしてよ」

 泣きながら言っても変わらない。一向に返事は来なかった。

 また嗚咽が出てくる。

 もう新藤はいない。

 もう新藤に会える事はない──────。

 もう駄目だ。前が見れなかった。涙がボロボロ出てきていた。

 前を向けなかった。顔を下に向けると涙がどんどん落ちていった。立ってるのも辛くなって僕は傍の木に寄りかかってしゃがみ込んだ。

 すると、すぐ傍で息切れが聞こえてきた。柔らかい毛が脚にくっ付いてきた。

 顔を上げると目の前にシバがいた。ひくひく鼻を動かしている。月明かりに照らされたつぶらな瞳が何とも純真な輝きを放っていた。

 シバがそっと僕の懐に潜り込んできた。その後はくっついたままずっと動かない。

 僕はシバの背中を撫でた。

 いつも新藤はこうやってシバを撫でていた。いつもこいつは新藤にこうやってすり寄ってきた。そんなこいつを新藤はいつも微笑ましそうにして相手してくれていた。

 シバの背中に涙が次々と落ちていった。

 薄情なこいつが優しくしてくるなんて。なに今頃お利口になってんだよ。嬉しくなんてならないんだよ。こんな時に優しくされても有難さが辛さに吸収されてもっと辛くなって涙が倍増するだけなんだよ。どうしてこんな時に限って置いて帰らないんだよ。こういう時は放っといていいんだよ。ありがた迷惑なんだよ。何でお前はいつも僕の思い通りになってくれないんだよ。

「くそおお。絶対にこれは夢だ。お前がこんな優しくしてくれるわけないんだよお」

 僕は泣いた。しばらく泣いた。そんな僕の傍にシバはずっといてくれた。

 有難かった。

 でもその有難さが辛すぎた。涙はずっと落ち着いてくれなかった。


          つづき

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https://note.com/takigawasei/n/nac19fa502c4f


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