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31.卑屈な人


 翌日は朝から父と母にだいぶ絞られた。けど、あまり二人の説教は入ってこなかった。ずっと上の空だった。

 この日から学校に登校する事にした。

 頭も腰も足も重い。

 クラスには賢人がいる。絶対に顔を合わせる。でもいつかは顔を合わせないといけない。このまま学校を休み続けるわけにもいかないので、僕は決心して登校する覚悟をした。

 でも行ける覚悟ができたのは、昨夜にあれだけの事をやって、もう後には引けなくなったので、これは吹っ切れたと言うか開き直ったと言うか、もうヤケクソだった。

 どうにでもなれ。

 これが一番近い。

 登校するとまず賢人が見えた。賢人は僕の席の列の一番前だ。席に行くには賢人の脇を通らないといけない。

 僕に気づいた賢人は冷めた目で僕を見てきた。

「あれは本気なの?」

 賢人の声は恐ろしいほど低かった。僕は頷いて「ごめん」と賢人に言った。

「まあお前がそう思ったんならいいけど・・・」

 賢人は席を立った。

「でもさ・・・」

 賢人が僕を見る。大きく息を吐いてから口を開いた。

「あれはないよ。もう、お前にはがっかりしたよ」

 賢人はそれを言い残して教室を出て行った。僕らの様子を見ていたのか、教室は静まり返っていた。

 残された僕は自分の席に移動した。席にバッグを置こうとした時、ふと顔を上げると正樹と目が合った。冷やかされそうな予感がしたので、すぐに視線を逸らして席に座った。

 机に顔を埋める。

 こうなるとは予想していた。心の準備はできていた。でもやっぱり辛い。賢人にあんな顔をされて一気に辛くなった。帰りたかった。でも担任の友利先生が来て、帰る事はできなくなった。

「お、哲哉。久々だな。元気か?」

 先生は開口一番にそう言ってきた。察して欲しかった。返事したけど全然声が出なかった。

 賢人の背中が見える。何事もなかったように隣の人と何か喋っている。笑っている。そんな賢人を見ると益々ここにいるのが辛くなった。

 結局、授業はずっと受けた。内容は頭に入らなかった。

 休み時間になるとクラスメイトが声を掛けてくれた。あえて駅伝の事には触れてこなかった。その様子がよそよそしくて、誰とも会話は弾まなかった。駅伝部の誰かが来るかと思ったけど誰も来なかった。賢人みたいな態度をされるのは嫌だけど、来なかったら来なかったで寂しかった。

 ホームルームが終わると、賢人はすぐに教室を出て行った。置いていかれたような気がして凄く傷ついた。でも自分から離れたのだからこれはしょうがない。僕はもう駅伝部じゃない。急いで練習場に向かう必要はない。ゆっくりしてもいい。

「哲哉、ちょっといいか?」

 友利先生だった。先生は僕を教室の外に連れ出した。廊下の曲がり角にいた人を見て僕は固まった。

 盛男さんだった。盛男さんは咳払いをしてから口を開いた。

「どうだ?昨日からだいぶ気分も落ち着いただろ。考えは変わってないか?」

 盛男さんの顔が見れなかった。僕はずっと下を向いたまま黙った。そんな嫌な空気に痺れを切らしたのか、友利先生が神妙な声で「本当に部を辞めるのか?」と訊いてきた。盛男さんはずっと黙ったままだった。頷くと先生は溜息を大きく吐いた。

「もったいないぞ。これまでの努力が無駄になるんだぞ。いいのか?」

 それに対してまた簡単に言葉が出てきた。

「自分みたいな遅い人がいたら皆の努力が無駄になるので」

 先生から溜息が聞こえた。

「何でそんな事を考えるのかな・・・」

 先生が盛男さんに目配せをする。それでも盛男さんは黙ったままだった。また変な空気が流れていく。この状況をどうしようか考えたけど、何をしたらいいのか思いつかない。とりあえず僕は二人のどっちかが動くのを待った。

「・・・哲哉。お前は人に大事な決心を告げるのに、こうやって下を向いて伝えるのか?」

 盛男さんの声は低かった。

「それともお前にとって、駅伝部は、大事な事じゃない、どうでもいい事なのか?」

 どう返事しようか迷ったけど、思いつかないので、首を少しだけ傾げた。

「・・・話にならんな」

 声の質から盛男さんの剣幕さが分かる。相当怒っている。その内、手が飛んでくるかもしれない。僕は殴られる覚悟をした。

「こんな不愉快な事はないよ。下を向きながらボソボソ言ってきて、はい分かりました、と俺が言うと思うか?人を舐めるのもいい加減にしろよ」

 盛男さんの怒りがどんどん膨らんできている。これはまずい。

 恐る恐る顔を上げると、バチッと盛男さんと目が合った。目力の強い睨みが僕の眉間に突き刺さる。鼻に汗が伝った。額が汗でびっしょりだった。手で額を拭った隙に盛男さんの視線から逃げた。

「哲哉、俺は認めんぞ。まだお前には迷いがある。こんな中途半端な気持ちを見せられたまま終わりにするわけにはいかない。本当に決心したんなら、きっとお前は俺の目を見て言ってくるはずだからな。だからそれまでは絶対に退部を許可しない」

 僕は下を向いたまま盛男さんの声を聞いた。

「分かったか?」

 小さく頷いた。

「俺はこんなうやむやにしたまま終わりにはしないからな。よく考えて、ちゃんと覚悟を決めろ。その時にまた話そう」

 盛男さんはそれを言い残すと廊下を歩いていった。友利先生が慌てて盛男さんを呼んだけど、盛男さんはずんずん廊下を進んでいく。呆れたような溜息を吐いてから先生は僕の前に来た。

「哲哉、これだけは忘れるなよ。皆が、お前を待っているからな」

 先生はそれを言ってその場を後にした。ここからでも怒っていると分かる盛男さんを追い掛けていく。

 教室から次々と生徒が出てきた。二人の背中は生徒の中に埋もれていった。廊下にたくさんの人達が出てくる。隣の、その隣の教室からも出てくる。皆が廊下を進んで奥の出入り口へと向かって行く。

 ふと思った。

 皆はこれからどこに行くんだろうと。

 みんな友達と喋りながら楽しそうに歩いて行く。皆の背中が離れていく。誰も僕に気づかない。僕を取り残して皆は外に出て行った。

 外はとても天気が良かった。外からの騒がしい声が誰もいない廊下によく響いた。

 ふと思う。

 今日、僕は何をしたらいいんだろうと。


           つづき

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