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32.暇な人


 ホームルームが終わった。

 いつも通り賢人が急いで教室を出て行く。ガヤガヤと騒がしい音はどんどん廊下の方へと流れていく。

 僕は静まり返った教室でゆっくり帰り支度をした。窓の外は楽しそうに騒いで出ていく人達でいっぱいだ。皆はこれから放課後の予定へと向かっていく。

 部活、塾、バイト、友達との約束にデート。意外と皆が忙しくしている事が分かった。

 急に何もない所にほっぽり出された僕は、特にやる事もなくただ家に帰る日々を送った。いつも一番に帰る。

 帰ったらまず庭に行く。でも庭はしーんとしている。庭先にいつもいるはずの、あいつはいない。代わりにウッドデッキの下に伸びる一本のヒモがある。

 覗き込むとそこには寝ているシバがいる。

「・・・帰ったよ」

 シバはこっちを見ない。地面に顎を付けたまま、ふーん、とわざとらしく長い鼻息を吐く。もう分かってるみたいだ。帰ってきた僕が、もう外に連れ出さない事を。

 ヒモを引っ張ると、寝そべった身体にグッと力が入った。目だけがじろりと動く。もう一回引っ張ると、ぐるるる、と唸り声がしてきた。相変わらず失礼な野郎だ。ヒモを投げ捨てて家に入った。

 すぐに部屋に入ってゲームのスイッチをつける。もう何度も全クリしたゲームを進めていく。新しいソフトが欲しいけど父も母も買ってくれない。勉強しろ、とうるさい。最近は顔を合わせる度に言ってくる。

「危ないでしょ。ここには何もないよ」

 外から母の声がした。帰ってたみたいだ。

 窓の下を覗くと、真下の花壇に母がいた。スコップでせっせと土を掘っている。もう片方の手にはパンジーがあった。その母の隣にはシバがいる。掘られた穴を興味深そうに覗こうとしている。

「もう邪魔だってば」

 母が言ってもシバはどこうとしない。母を押し退けてまで顔を捻じ込ませている。

 元の場所に戻ってゲームの続きをする。今度は千紗の声がした。シバの猫なで声も聞こえる。そのままゲームを進めていく。階段を上がる足音がした。

「ねえ、シバが散歩に行きたがってるよ」

 ドアの向こうから千紗の声がする。

「お前が行けよ」と言ったけど「これから塾だもん」と千紗は言うと「暇でしょ?行ってきてよ」と続けざまに生意気な事を言ってくる。

「うっさいな!後でやるから早く塾に行けよ」

 ドア越しからでも分かる大きな溜息が聞こえた。

「どうせやらないくせに・・・」

 足音が離れていく。ムカついた。何か言ってやろうと思ったけど、もう外に出ていたので次に持ち越す事にした。

「ねえ!」

 外から千紗の声がした。窓から顔を出すと千紗が見上げていた。

「お母さんが米を洗っててって。それぐらいやっててよ」

 いちいち一言多い。投げやりに返事して顔を引っ込めると、車のエンジン音は遠ざかっていった。ここ最近の千紗の態度が気になる。思春期なのかもしれない。

 シバが悲しそうに鳴いていた。

 いつもなら練習場で椿に遊ばれている時間だけど、今は家で家族の帰りをただ待つだけ。つまらないと思う。でも今は散歩に連れて行けない。散歩に出たらシバは絶対に練習中の駅伝部の所に行く。もし遭遇したら気まずいこと間違いない。

 ベランダから外を見ると、畑の向こうの森の前に一台の白い軽トラがあった。

 あれは盛男さんのだ。やっぱり今日の練習は学習の森だ。急に胸が重くなった。

 ゲームを止めると一階に下りて米を研いだ。部屋に戻って、何をしようか悩んで、本棚にあった漫画が目についたので漫画を読む事にした。完結して何度も読んだ漫画だったけど、久々に読んだので時間を忘れられた。

 気がつくと窓の外が薄暗くなっていた。

「きいやあああああああ!」

 窓の下でとんでもない悲鳴が上がった。

 殺人事件でも起こったのかと、びっくりしてベッドの上であたふたしていると「あんた何してんのよ!」と母の声が聞こえた。千紗の笑い声も聞こえた。ゲラゲラ笑っている。

 そっと窓から覗いてみると、花壇の中で寝ているシバが母に怒られていて、その後ろで千紗が腹を抱えて笑っている。

 シバは眠そうな顔をして激怒する母を不思議そうに見上げていた。

 そのシバの脇にはパンジーがあった。

 つぶれていた。くしゃっと悔しそうな顔をして僕を見上げている。

 せっせとスコップで穴を掘ってた母の姿が浮かんでくる。

 なんて残酷な事をする犬だと思った。

 犬の無垢な心って、時にこうやって裏返った狂気になる事がある。でも、この狂気を見せた時こそ、僕はこの犬に愛おしさを感じる。被害に遭ってないからそう感じられるんだけど。

 思わず笑いそうになったので慌てて顔を引っ込めた。

 時計を見ると、もう部活が終わっているはずの時間だった。ベランダから学習の森を覗いてみると、軽トラはなくなっていた。

 それを確認すると、僕は練習着に着替えて外に出た。まだ眠そうなシバを連れて走りに出る。

 部活に行かなくなってからはこんな感じの毎日を過ごしている。

 走る場所は駅伝部の練習場所とは離れた所を選んでいる。残っている誰かと遭遇する可能性だってある。間違っても練習場所には近づかないようにした。この時間になるとシバも分かっているみたいで、放しても勝手に練習場に行くようなことはしない。走る僕のかなり後ろで勝手気ままにほっつき歩いている。

 一時間ぐらいして帰ると、庭で筋トレをしてからシャワーを浴びた。

 出ると、ご飯が用意されている。納豆と、パプリカのサラダに、蒸し鶏の梅肉ソースがけの一品がメインであった。

「・・・ねえ、哲哉もさ、そろそろ何かしたら?」

 急に母が切り出してきた。突然の事に僕は戸惑って歯切れの悪い反応をした。隣で父は何も言わずに黙々と食べている。

「帰ってただ家にいてもしょうがないでしょ?」

 曖昧な返事しかできなかった。居心地が悪かったので、お替わりはしないですぐに部屋に戻った。このところ部屋で過ごす時間が多い。一階は途轍もなく居心地が悪い。

 ゲームの電源を入れた。いつものように開脚ストレッチをしながらゲームをしていると、ふと思った。新しいソフトを買う為にバイトをしようかと。どんなバイトをしようかな、とあれこれ考えていると、「早く寝なさい」と父の声がドアの向こうでしたので、電気を消してベッドに潜り込んだ。いつものように寝付けないのでスマホを取った。

 手に取って思い出す。今月のギガを使い果たしていた事に。

 溜息を吐いて目を閉じる。でも眠れない。また溜息が出る。

「退屈だ・・・」

 無意識にそんな声が出ていた。


           つづき

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https://note.com/takigawasei/n/n2a6b29224165


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