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30.グレる人


 次の日も休めた。

 目が覚めると、頭が重くて起きるのが辛かった。明日から絶対に行きなさいよ、と母に言われただけだった。

 その翌日も休んだ。

 この日は父が起こしに来た。父にはさすがに正直に話した。学校に行くのが恐いと。父は許してくれたけど、今日で最後だ、と忠告してきた。休めると分かった途端に、決まって頭は軽くなった。

 この三日間は特に何もしなかった。ずっと部屋にいた。ご飯の時だけ一階に下りた。食べ終わったらすぐ部屋に戻った。一階に下りる時はなるべく誰もいない時にした。ずっとベッドの上で横になっていた。

 病院で目覚めてからスマホは見ていない。ずっと電源を落としたままだ。きっとたくさんのメッセージが届いてる。でもスマホが触れなかった。恐かった。スマホが目につく度に、SNSでのあのコメントが浮かんできた。皆の気持ちが分かるのが恐かった。きっと怒っている。いや、恨んでいる方が多いかも。特にキャプテンは・・・・。

 キャプテンの中継所での姿が浮かぶ。

 もう何度目だろ。あの顔が出てくるのは・・・。

 玄関のチャイムが鳴った。しばらくすると階段を誰かが上がってきた。

「哲哉、盛男さんが来てくれたぞ」

 父の声だった。

「お前の事を心配してわざわざ来てくれたんだぞ。挨拶ぐらいしなさい」

 ドアがノックされた。無視をした。それでもノックは続いた。

「おい、せっかく来てくれたのに無視はないんじゃないか?そんな失礼な事は許さんぞ」

 このままだと父の熱が上がりそうだったので、僕はドアを開けた。父が何か言ってきたけど、僕はそれを無視して階段を下りた。

 盛男さんは客間にいた。母から飲み物を手渡されていた。

「おお、哲哉、元気そうだな」

 盛男さんは笑顔だった。

「いい休養になったか?そろそろ練習に顔出さないか?お前がいないから皆寂しそうだぞ」

 僕は盛男さんに頭を下げた。

 そして「すみませんでした」と盛男さんに言った。

「全部僕のせいです。僕が走れたら優勝できたのに走り切れませんでした。盛男さんの期待に応えられなくてすみませんでした。たった3キロの距離も走り切れなくて本当にすみませんでした」

 顔を上げられなかった。盛男さんを見てると涙が込み上がってくるし、腹の底から例えようのない嫌なものが湧き上がってきた。

「いや哲哉、何も謝る事はないよ。あれはしょうがなかった。難しいコースだったし、状況も厳しかった。それをちゃんと仮定してなかった俺が悪い。もっと対策とか教える事があったはずだった。謝るのは俺の方だよ」

 そんなわけない。僕以外の選手は全員が完走している。普通に走れたコースだった。そんな慰めを受けても、惨めになるだけだ。

「いえ、あれは誰でも走れます。簡単に走れるコースです。僕だから走り切れなかったんです。僕が出てなかったらこんな結果になっていなかったはずです。僕がいたから──────」
「それは違う!お前がいなかったらここまで良いチームにならなかった──────」
「嘘つかなくていいです!いつもチームの後ろを走ってる人がチームを良くできるわけがないです。今回の大会で分かりました。僕はチームのお荷物だと。僕がいたらチームの迷惑になります。だからもう嫌なんです。走るのが嫌いになったんです。駅伝はもう嫌です。うんざりです。もうあんな思いはしたくありません」

 もう口が止まらなかった。どんどん出てきた。腹の底からとめどなく溢れてくるこいつをぶちまけたい。止められない。胸が熱くなってくる。


 もう、どうでもいいや、と思った。


「だから盛男さんお願いです・・・」

 自分の声じゃないような気がした。

 あれを言っちゃうの?と心の中から誰かが訊いてきた。でもそれを無視して口は勝手に動きだす。

「駅伝部を辞めさせてください」

 とうとう言ってしまった。

 でも胸がスーッと軽くなったような気がした。

 盛男さんの眉間には太い皺があった。そして、フーッと一度大きく息を吐いた。

「もうちょっと考えてみてもいいんじゃないか?そんなすぐに決めなくても──────」
「いえ、もう走りたくありません。もう自分の心に駅伝をやる気持ちはありません。何を言われても絶対に練習には行きません。今までありがとうございました」

 自分に驚くばかりだった。こんなにスラスラと言葉が出てくる。普段は出ないのに。何でこんな歪んだ気持ちになると簡単に出てくるんだろう。

 僕は頭を下げると客間を出た。すぐに盛男さんに呼び止められた。

「絶対に認めない。お前は部に必要な存在なんだ。どうしてそれが分からない」

 笑いそうになった。お情けで言っているだけだ。まだそんな見え見えな嘘を吐く盛男さんには呆れてしまう。

「僕が辞めても影響はないと思います。四月になったら僕より速い新入生が来ます。だから僕の事は気にしないでください」

 盛男さんの顔は見なかった。

 階段を駆け上った。父や母が大声で呼んできたけど、僕はそれを無視して部屋に入って鍵をかけた。すぐにドアが叩かれた。父と母はもの凄く怒っていた。二人の声があまりにも煩いので、僕はヘッドホンをしてスマホの電源を入れた。音楽を鳴らして、メッセージアプリを開く。

 たくさんのメッセージがあった。駅伝部の皆からグループでも個別でもメッセージがあった。でも僕はその内容は見ずに駅伝部のグループに文字を打った。



 この度は自分のせいでこうなってしまって本当にすみませんでした。色々考えたんですが、自分みたいな遅い人は必要ないと思います。もう皆の足を引っ張りたくはありません。今さっき盛男さんとも話しました。この部を辞めます。今までありがとうございました。皆の活躍を期待してます。頑張ってください。



 迷わなかった。すぐに送った。メッセージが載ったのを確認すると、すぐに駅伝部のグループを退会した。そして次に駅伝部の皆をブロックした。


 これで駅伝部からのメッセージはもうこない。これできっぱり駅伝とは決別だ。


 ヘッドホンからは僕の好きな曲が流れていた。ノる曲のはずなのに、全然音が入ってこない。


 画面に水滴がぽたぽた落ちてた。


 涙が止まらなかった。


 馬鹿だ。最低だ。本当に馬鹿で最低な人間だ。


 こんな事はしたくなかった。でもやらないと気が済まなかった。何でこんな事をするんだろう。何でこんな事を簡単にやってのけるんだろう。


 キャプテンの言う通りだ。僕は、ばかやろうだ。


 いつまで経っても涙は止まらなかった。


          つづき

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https://note.com/takigawasei/n/nd162c17b5976


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