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45.突撃


 この日は学習の森でトレイルラン。

 夏休みの練習は日差しの強い日中を避けて夕方からの練習が多いけど、トレイル練習だけは別。森の中で日差しもないから日射病の心配はない。練習で人気があるのはトレイル練習だった。新鮮な空気はひんやりとして涼しいからだ。森の中だと自分がパワーアップしたんじゃないかと錯覚するほど走りやすい。皆もそう思っていた。

 最初の休憩中、水を飲んで涼んでいると賢人が近寄ってきた。

「哲哉。練習の後って暇?」

 釣りの誘いかなと思った僕は「暇だよ」と返事した。

「じゃあさ、新藤の家に行ってみない?」

 意外な誘いに驚いたけど、僕は二つ返事でOKした。

 まだ僕らは新藤に会えてなかった。

 連絡は取り合っている。部のグループでも、個人でも。

 でも新藤の返事は大体同じだった。


 大丈夫。
 リハビリは順調だよ。
 心配するな。


 いつもこんな感じの一言の返事だけで、やり取りは長続きしない。

 新藤が故障してからもう一ヶ月以上は経っている。本当に順調に回復しているんだろうか。

 一度、大志先輩の提案で新藤に会いに行こうとなった。でも、連絡してみると新藤はリハビリが忙しいと断ってきた。個別で連絡しても同じだった。誰も新藤に会えてなかった。

「どうせ連絡しても拒否られるから、突撃するしかないでしょ」

 賢人は新藤の家の住所も分かっていた。

 新藤の家は市街地から離れた小さな集落にある。

 僕はその集落に行った事はなかった。気楽には行けない距離だった。車でも30分近くはかかる。ママチャリにはきつい。その距離を新藤は走ってきてたけど。

「皆には内緒で行こうぜ。じゃあ練習が終わったらな」

 そう言って賢人は離れていった。

 その後の練習はあまり集中できなかった。ずっとそわそわしていた。ラスト一周の競争で大悟に追いつかれる始末だった。

 部が解散すると、まずシバを置く為に家に寄った。

 シバが水を飲んでいる隙に、デッキにリードを縛りつける。

 外に向かおうとすると、おい!、と呼んだようにシバが鋭く吠えた。振り返るとシバと目が合った。

 輝いた目が、俺も連れてけこの野郎、と言っているように見えた。いつもは疲れて寝転ぶくせにこういう時に限って勘づいてくる。野生の勘なのだろうか。でも、今日は無理。お前を連れてったら帰れなくなるのは間違いないんだよ。

 吠えたてるシバを無視して自転車を走らせると、賢人と合流して新藤の住む集落に向かった。

 新藤の住む集落は海の近く。だから海沿いの裏道を通る事にした。

 この決断が間違いだった。

 自転車を漕ぐ僕らの額には玉のような汗が浮かんでいる。

「きついよお。帰りてえよお」

 もうさっきから賢人の嘆きが止まらない。

 海風が強かった。しかも向かい風。上り坂は自転車から降りて押さないと無理だった。やっと向かい風から解放されたと思ったら、今度は横殴りの風。自転車ごと倒れそうになる。

 賢人は何度も苛立った声を上げた。明るい頃には帰ろうと思っていたのに、新藤のいる集落に着いた時には、もう空が赤く染まり始めていた。明日の練習が休みで良かった。

 賢人が言うには、新藤の家は売店をしているみたいだ。

 その売店が見えると、心臓がざわざわ動き始めた。


 いよいよだ・・・・。


 今の心境は、これから禁断の扉を開けるみたいな感じだった。

 実は、僕は新藤の事をあまり知らない。

 駅伝部の新藤は知ってる。

 でもその他の事が謎だった。

 大会の時、新藤の家族は誰も応援に来た事がない。大変な家庭だとは聞いている。でもそれしか知らない。訊きたくてもそんな無神経には訊けない。だからずっと謎のままだった。

 それが、初めて明かされる。勝手に来て新藤が怒らないかちょっと不安だった。

 お店には、西富購買店、と大きな看板が掲げられていた。コンビニぐらいの小さなお店だった。店の脇にはトタンを屋根にしたプラスチックテーブルの席もあった。そこに茹でダコみたいに真っ赤になったおじさん達が楽しそうに酒盛りをしている。

 僕らは店の中に入った。

「いらっしゃい」 

 入口のすぐ傍にレジがあって、そこに女の人が立っていた。すぐに新藤のお母さんだと分かった。凛とした立ち姿は新藤を見ているみたいだった。新藤のお母さんは僕らを見るとニコッと笑顔になった。

「見ない顔ね。どこから来たの?」

 綺麗な顔だった。ちょっと髪が明るくて派手な感じだけど。

「こんばんは。僕達は新藤孝樹君と一緒に駅伝部をやってます。松原賢人と・・・」

 賢人が見てきたのですぐに「上地哲哉です」と名乗った。新藤のお母さんは驚いた顔をして僕らを見ると「いつも孝樹がお世話になってます」とお辞儀をしてきた。僕らもすぐにお辞儀を返すと、「ちょっと待っててね」とお母さんは店の裏に引っ込んでいった。新藤を呼ぶ声が何回かした。

「・・・ごめんね。あの子、外に出ているみたい」

 戻ってきた新藤のお母さんは呆れた顔をしていた。

 ホッとした。外に出てるという事は、順調に回復しているみたいだ。寝たきりの生活をしているんじゃないかと、少し思ったりもしていた。

「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど・・・」

 お母さんは僕らの前に来ていた。お母さんから香水の香りが流れてくる。甘いけど鼻に抜ける清涼感もあって、とても良い香りだった。思わず空気を大きく吸い込んでいた。

「孝樹の様子を見てきて欲しいの」

 お母さんは深刻な顔をしていた。話によると、ここ最近の新藤は夕方になると車椅子で外に出ているみたいで、いつも服を汚して帰ってくるとの事だった。心配だけど、店番があって離れられない。どこで何をしているかだけでも知りたい。そこで僕らにお願いをしてきた。

「どこにいるかだけでも教えて欲しいの。お願い。お家まで車で送ってくから」

 お母さんからジュースをもらって送り出された僕らは、とりあえず自転車で集落を散策した。

 人がいない。夕暮れに染まった家の並ぶ通りはずっと静かだった。通りがかった家から話し声やテレビの音が聞こえてきて、ごま油の良い薫りがする。

「腹へったな・・・」

 賢人の声は萎れていた。

 時計を見ると、もう夕方の六時を過ぎている。帰りが心配になった僕らは急いで集落を回った。団地の広場、集会所の広場にもいない。僕らは無言で自転車を漕いだ。相変わらず人はいない。誰ともすれ違わない。たまに車が通るぐらいだった。街灯が点き始めている。明るかった茜色の空も、今ではどっぷりと濃い夕闇になっている。

 点滅する街灯が見えた。今にも電気が切れそうだった。その点滅の明かりに照らされた校門が僕らを迎える。

 小学校だった。門の前はちょっとだけこんもりとした傾斜になっていた。今の僕らにはそんなちょっとした傾斜もきつい。

 自転車を押して行く。閉められた門の先は暗かった。運動場の先にある校舎は真っ暗だった。

「とりあえず行ってみるか」

 賢人が自転車を置いて先を行った。門の横に人一人が通れる隙間があった。賢人の後をついていく。中に入ると、すぐ右手に運動場が広がっている──────。

 賢人が立ち止まった。

「誰かいる」

 声を潜めた賢人が腰を屈めながら近くの木に移った。その木の陰に隠れて運動場を覗いてみると、すぐ先に車椅子がぽつんとあった。

 車椅子には誰もいない。

 その車椅子の先に白い影が見えた。よく見ると白いTシャツを着た人が地面に伏せていた。

 ただ、様子がおかしかった。もぞもぞと動いている。呻き声も聞こえてくる。


 大変だ。助けないと。


 動き出そうとした時、賢人に腕を掴まれた。

「待て」

 賢人は息を潜めて言った。

「何で?」

 小さく声を出した時だった。


 どん。


 運動場から物音がした。驚いて見ると、倒れていた人が地面を殴っていた。握った拳を何度も打ち下ろしている。

「くそっ・・・なんで・・・」

 微かな声も聞こえた。

 その声で分かった。


 あの人は新藤だった。


 何度も地面を殴打するその背中からは、強い悔しさが滲み出ていた。

 しばらくすると、新藤は起き上がろうとした。苦しそうに、辛そうに息を吐いている。

 肘で上半身を支えて、脚を動かそうとした時だった──────。

 新藤から悲鳴が上がった。

 新藤は地面に突っ伏した。新藤から悔しそうな叫び声が出てくる。その声はすぐに芝生の地面に埋もれていく。

 僕と賢人は無言でその様子を見ていた。

 新藤は何度も立ち上がろうとした。でも脚が動いてくれない。また地面に突っ伏した。

 新藤は何度も挑戦した。地面に突っ伏しても新藤は諦めずにまた這い上がろうとする。でも、いくらやっても変わらなかった。動くのは上半身だけだった。


 もう辺りは真っ暗になっていた。


 そして新藤は動くのを止めた。地面に伏せた新藤から叫び声がする。それは悲痛な声だった。

 泣いていた。新藤は泣き叫んでいた。大きく身体を震わせながら悔しそうに叫び声を上げ続けた。

 僕らはそんな新藤を呆然と見ていた。

 動けなかった。どうする事もできなかった。

 僕らはただ立ち尽くして無力感に打ち震えるしかなかった。


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