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37.目を覚ました人


 翌日は祝日で休みだった。

 特に何もやる事がなかったので部屋で漫画を読んだ。漫画の内容は入ってこない。頭を占領するのは昨日の大会の結果だ。スマホにギガがないから何も知らない。テレビとか新聞があるけど、母や千紗に見られてしまう。

 外から声がした。窓を覗くと母と千紗がシバを連れて出て行くのが見える。

 朝ご飯を食べている時に母が言ってきた。

「今日、新藤君と松島君が帰って来るって。皆で盛大に迎えるらしいよ。お父さんも同じ便で帰るみたいだからさ、一緒に迎えに行かない?」

 行きたかった。

 でも僕は断った。そんな僕を見た母は分かりやすいぐらい顔をシュンとさせた。昨日もそうだった。母は帰って興奮気味に僕に話し掛けてきた。

「テレビ観てた?」

 僕は素気なく言った。観てない、と。

 車の音が遠ざかっていくと、僕は一階に下りた。

 新聞を手に取った。新聞の一面には二人の雄姿が大きく載っていた。

 二人とも区間二位だった。新藤は区間賞を逃していた。やっぱりタスキの受け渡しだ。新藤の悔しがる姿が浮かんだ。

 ふとパソコンが目に留まった。そうだ。パソコンはネットできるんだった。何で今まで気がつかなかったんだろう。

 僕はすぐにパソコンを起ち上げた。

 公式サイトから結果を見た。結局、チームは上位には入ってなかった。それでも二人のお陰で過去最高順位を更新していた。二人の記録を見て、何度も溜息が出てきた。本当にこの二人は凄い。

 ページを閉じて、次にSNSサイトを開いた。

 駅伝部のSNSが更新されているか気になった。

 運営は父がしている。現地に行って応援しているのだから写真とか載せているはずだ。

 更新はされていなかった。

 よくよく考えると父はスマホを持ってない。更新はいつもこのパソコンからだった。

 SNSを閉じかけた時、ふと気になった。

 僕は過去の投稿にカーソルを持っていった。見なければいいのに、と思いつつも、手はどんどん動いた。

 開いたのは県予選の投稿だった。進展が気になってしまった。僕の失態を非難するコメントがたくさんあったやつだ。あれからどうなったのか気になってしまった。傷つくとは分かっているけど、好奇心を抑える事はできなかった。

 コメントは前に見た時より増えていた。一つ一つのコメントに返信があった。クリックしてみる。


➡応援のメッセージありがとうございます。これからも宮島高校駅伝部の応援をよろしくお願いします。
➡来年はきっと都大路に行ってくれると思います!期待して待っててください。引き続き応援をよろしくお願いします。


 どのコメントにもちゃんと返信があった。

 さらに下にスクロールしていくと、手は止まった。

〈3キロで脱水症状ってあるんだ〉
➡当然あります。走る前の選手達は常に緊張感と戦っています。緊張すると大量の水分を奪われてしまいますが、やっかいなのは、緊張しているとその事に気づかないのです。水を飲み過ぎると走りに支障が出る。それで慎重に考えて水を控える選手もいます。今回、二区の上地君は初めての高校駅伝でした。言い訳になるとは思いますが、本番は途轍もない緊張感に襲われますし、何より初めての公式戦です。毎日練習を積んでるとは言え、本番の緊張感は走る者にしか分かりません。相当辛い思いをしたと思います。この経験を踏まえて選手はもっと強くなると思います。また応援をお願いします。

〈たった3キロも走り切れない選手がいる時点で優勝は無理でしょ〉
➡走り切れませんでしたが、それでも上地君は倒れるまで必死に走りました。それなのに報われなかったのが残念でなりません。優勝という大きなプレッシャーが一番の敵だったと選手達は自覚しています。たった3キロかもしれませんが、そのプレッシャーを背負いながら走るのは容易ではありません。それが分かって頂けると幸いです。


 驚きだった。僕を非難していたコメントにまで返信している。僕はどんどん下にスクロールした。


〈二区の選手は次からマネージャーで!〉
➡二区の上地君は一生懸命走りました。必死に走りました。苦しかったと思います。辛かったと思います。それでも次の松島君にタスキを繋げられませんでした。悔しかったと思います。彼は今も強い後悔心と戦っています。責任感の強い選手なので立ち直るには時間がかかると思います。でも、立ち直った上地君はその経験を生かしてさらに強い選手になってくれるはずです。彼は来年も走ります。応援をどうかよろしくお願いします!

〈普通は3キロ走れるでしょ情けないなりよ〉
➡いつもの3キロなら簡単に走り切れました。でもそれができませんでした。なぜなら、これがただの3キロではなかったからです。初めての公式戦、優勝という大きなプレッシャー、さらに先頭を守り抜かなければいけない大きなプレッシャー、さらには後方から迫りくる大勢の選手。想像しただけでもとても恐くて震えます。それを肌身に感じるのは選手だけです。私達応援する側がそれを感じる事は難しいかもしれません。それでも選手達の気持ちを感じてもらいながら応援していただければ幸いです。きっと選手の励みになると思います。これからも応援よろしくお願い致しますなりよ。

〈来年は出走メンバーをしっかり編成してください〉
➡来年を期待して待っていてください。上地君を含めた部員達はもっと強くなって帰ってきます。来年もどうか熱い応援をよろしくお願いします!

〈二区に俺が出た方が良かったな!〉
➡ぜひ駅伝部に入部してください!あなたのその自信が選手達の力になります!!


 ショックだった。コメントに返信していたのは投稿主の父だった。父がこんな事をしているとは思ってもみなかった。

 何度もパソコンの操作を訊いてくる父の姿が浮かんだ。

 元々パソコンは母が使っていたもので、駅伝部の発信を始めるまではキーボードすら触った事のない人だった。画面とにらめっこして人差し指だけでキーボードを慎重に押していた。そんな父がこの量のコメントの返信をするのには、一体どのくらい時間が掛かったんだろう。父がどんな想いで文章を打っていたのか、一つ一つの返信を見て分かった。父も相当悔しい思いをしたんだと思う。バイクを出してまで僕の傍で応援する父だ。

 胸の奥から一気に込み上がるものがあった。視界が水没して前が見えなくなった。涙も嗚咽も溢れ出してきて止まらなかった。口には出していなかったけど、父は僕を信じてくれている。こんな僕を信じてくれる父が嬉しかった。

 また僕は正座になっていた。変だとは自分でも分かっている。でもこうでもしないと気が済まなかった。


 悔しい。


 とにかく悔しかった。

 今まで自分のしてきた事を思うと歯がゆさしかない。

 どうしてこんなにも蔑んでいられるのか。

 何をしてるんだよこんな所で。

 お前は馬鹿だ。馬鹿野郎だ。


 僕は一人、正座のまま泣き続けた。

 ようやく涙が落ち着いて心が鎮まると、僕は靴棚を開けてランニングシューズを取り出した。

 ふと目に止まったのは一足のスパイクシューズだった。思わず声を上げてそのシューズを取り出した。

 軽い。そして小さい。

 このシューズは僕が小学生の時に父が買ってくれたものだ。

 あれは、僕が小学五年生の頃、初めて島の陸上大会に800m選手として出場した時だった。予選落ちすると思っていたのに、僕は決勝に勝ち残った。決勝進出者の殆どがスパイクシューズを履いていると知った父は、その足でスポーツ用品店に駆け込んだ。

 一番高いものなら間違いない。

 そう思った父が買ってきたスパイクシューズは僕の足には合っていなかった。走り終わった足は所々が擦り剥けていて、この一回限りでこのシューズはお役御免となった。いま思うと、父らしいな、と笑いそうになる。

 ランニングシューズを履いて外に出た。

 靴ヒモを蝶結びにする。さらに羽の部分を掴んで、それを片結びに縛った。

 これは父に教えてもらった縛り方だ。

 僕が初めてマラソン大会に出た時だった。確か小学三年生ぐらいだった。オープン参加型の大会だけど、年齢別に分けられて参加者も多い大きなマラソン大会だった。走る前にスタート地点近くに座って待っていると、息を切らした父が隣に来た。

「選手以外は入らないでください!」

 怒った係員の声は今でも覚えている。父はその声を無視して、僕にこの靴ヒモの縛り方を教えてくれた。「これなら絶対に解けないから」と。

 実際、本当に解けなかった。

 その甲斐もあって僕は三位とメダルをもらえた。それからだ。僕が長距離を好きになったのは。

 そして僕はこのヒモ結びと共に走ってきた。父の言う通り、これで靴ヒモが解けた事は一度もない。今まで走ってきた中でこれが一番の誇れる事かもしれない。

 靴ヒモがしっかり結ばれているのを確認してから僕は走り始めた。

 畑のあぜ道を通った。目先には視界を越えて広がる森林がある。

 久々の学習の森だった。

 道路を横切ろうとした時、猛烈なスピードでくるバイクがあったので立ち止まった。

 一気にバイクは大きくなって、物凄いエンジン音を吹かして目の前に迫ってきた。


 引き寄せられたような感覚がした。


 突然迫った大きな力に僕の視界は真っ暗になった。


           つづき

            ↓

https://note.com/takigawasei/n/n76b74d1835f3


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