人生が始まれない。

 僕は先日仕事を辞めた。
 家に独り、僕は作業机に向かいながらこの文章の下書きをノートに書き起こしている。朝の冷気で冷たくなった机は、僕の腕の体温をじんわりと奪いながら暖かくなっていく。机じゃなくて恋人だったらよかったのに、などと思いながら自分が独り身であることを余計に実感し、唐突に訪れた虚無感を誤魔化すように電気ストーブをつけて足元に引っ張った。
 
 もう6年近い付き合いになる電気ストーブは、そろそろ限界だと言わんばかりに音を立てながら熱を発し始め、僕の体はゆっくりと溶かされるかのごとく暖められていった。
 暖まり始めた頃からペンの進みも早くなり、自分の思考速度をペンの速度が超越し始める。
 
 僕は昔からの癖で、自分の思いやどうしようもならない考え事などは文に書き起こすようにしている。書いているうちに自分の考えて悩み抜いていることが、文にしているうちに自然と解になって表れるからなのだろう。だから僕は、自分に問いかけをするべく文章を書き始める癖ができたのだと思う。
 

 僕は昨日、あまりにも溜まった鬱々とした気分を少しでも晴らすべく、机の上に置く観葉植物を買ってきた。来たばかりのネフロレピスと白檀を机の上に並べ、何も考えずに眺めていると自分が溜め込んでいた苦しさを一旦忘れることができる。緑というのは絶大な効果があると痛感した。
 
 そういえば昔、父親が45歳くらいの頃、急に家の中でオリーブのきを育て出したことを思い出した。
 思えばあの頃は両親が離婚をしたくらいの時期で、きっと離婚の苦しさを癒やされようと緑を飼い出したのだろう。当時の僕は「ジジイ臭え趣味だな。」と反抗期も相まって邪険にしていたのだが、まさかこんな早いペースで先人の通った道を通過することになるとは思わなかった。
 
 僕はよくラジオを聴くのだが、「草いじりと土いじりは、今始めると老後の楽しみがなくなるから我慢している。」とあるパーソナリティの方が言っていたことを鮮明に記憶している。
 僕はサーフィンや釣り、ゴルフも全て一度手を出し、中途半端に経験値を積んでいる。老後の趣味としてやっている人がたくさんいる遊びだが、僕は60歳を過ぎるまで継続してやっていられるだろうか。
 
 もしやっていられなかったら、僕に残されるのはゲートボールだけになる。
 どうか僕が40歳くらいになってゲートボールを始めないことを祈るばかりである。

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