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【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第43回】

🔷 「入院前」の中の「体調を崩す」を掲載します。🔷

 『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者   藤巻 隆
発行所  ブイツーソリューション

 ✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第43回)✍

「入院前」の中の「体調を崩す」を掲載します。

入院前

体調を崩す

 これ以降は、書くことがとてもつらい部分です。ですが、事実をありのままに書くことによって、由美子が私たちに遺してくれた貴重な思い出、という「財産」を大切に受け継いていける気がします。

 私の知る限り、由美子は二〇一五年六月初旬頃から体調不良を訴えていました。食べ物が喉を通りにくくなり、流動食や飲み物を主に摂っていました。

 由美子いわく、「自立神経失調症か更年期障害と、副鼻腔炎によるものだと思う」。実際には、はるかに恐ろしい病気だったのです。

 同年六月中旬頃から、私は由美子にマッサージや指圧を始め、連日続けました。頭頂部から足裏までマッサージや指圧を施しました。インターネットで身体のツボを調べ、由美子が不調を訴える箇所を中心に、三十分以上、長い時には一時間三十分くらい連続でさするか、押しました。

 私は幼い頃から指圧や肩たたきを親にしていましたので、苦になりませんでした。ただし、指圧やマッサージを行なっても、一時的に痛みや不快感が軽減されるだけで、痛みや不快感の根本的な解消にはなりません。

 六月末に、由美子はパートを二週間休暇する旨の申請をしました。二週間経っても体調が回復しないため、退職を申し出ました。

 由美子はまともに食事がとれないため、私は由美子の身体のことが非常に心配になり、「このままでは衰弱してしまうから、点滴を打ってもらおうよ」と由美子に勧めました。

 由美子は私の提案を受け入れ、自宅から徒歩七~八分の距離にある、山田内科医院へ自ら電話し、七月十八日(土曜日)の午前中の予約をしました。この日が、由美子が「がん」との闘いをスタートさせた日となりました。

 通院の初日、由美子は「歩くのがつらい」と訴えたため、自宅前までタクシーに来てもらい、二人で山田内科医院へ直行しました。

 点滴が四十分位かかるということで、私は待合室で待つことにしました。X線撮影も行ない、翌週の火曜日(二十一日)に結果が分かるという話を、看護師さんから聞きました。

 帰宅の際もタクシーを使い、自宅から数十メートル手前で停車してもらいました。わずかな距離でしたが、緩やかな上り勾配のため、「歩くのがつらい」と由美子がまた漏らしました。

 「おんぶしようか?」と言うと、「恥ずかしいからいい」と由美子はやんわりと断りました。なんとか自宅に到着すると、由美子はソファに倒れ込みました。


恐ろしい結果を聞く

 そして、二十一日が来て、恐ろしい結果を聞くことになりました。腹水が左肺の半分くらいまで溜まっていたのです。右肺には腹水はほとんど達していませんでした。X線写真を見せてもらい、由美子と私で確認しました。

 山田医師はストレートに由美子に聞きました。

「乳がんに気づいたのはいつ?」

 その質問を聞いた時、「えっ? そんなバカな!」、と私は心の中で叫んでいました。

(PP.100-102)


➳ 編集後記

第43回は「入院前」の中の「体調を崩す」を書きました。

入院前に由美子の病気はすでに重症化していたという事実を直視することは、とても怖かったというのが率直な感想です。

医師から病名を聞かされ、呼吸が止まりそうなくらいショックを受けました。

次回以降リアルな表現が続きます。気分が悪くなる恐れがあります。ですから、無理してまで読まないでください!



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