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究極の「自分ブランド力強化法」 第3回

第1回 究極の「自分ブランド力強化法」ついて
第2回 自分ブランド力を確立する方法

自分ブランド力を確立した人(1)

今回は「自分ブランド力」を確立した人をご紹介します。

日経ビジネスオンラインを見ていましたら、日産GTーRの開発者・水野和敏さんが日産を退職した、という記事が目に飛び込んできました。

記事を読み進んでいくうちに、水野さんは今年2月に60歳になられ、社内規程により3月31日付で定年退職した、ということが分かりました。

ご存知の通り、日産GT-Rは名車スカイラインの流れをくむクルマです。

エンジンのチューンナップをしたり、足回りを強化するなどするだけで、レースに参加できるほどのクルマです。

ただし、乗りこなすのは容易ではありません。

スカイラインGT-Rは、通称ハコスカで不滅の49連勝という金字塔を打ち立てました

レース中にポルシェを一瞬抜いたこともあり、当時のカーマニアにとっては垂涎のクルマでした。

そんなクルマを開発したのは、有名な桜井眞一郎さんです。

スカイラインと言ったら桜井眞一郎さん。

桜井眞一郎さんと言ったらスカイライン。

それほどまでに名が知れ渡っていました。

そのスカイラインの頂点を極めていたのがGT-Rだったのです。

ただし、当時はプリンス・スカイラインGT-Rという名称でした。

今はなきプリンス自動車のクルマだったのです。

その後、日産自動車とプリンス自動車が合併したのです。

プリンス自動車という社名の由来は、昔皇室御用達の車を納めていたからです

そうした歴史と実績のあるスカイラインGT-Rの後継車種である、日産GTーRの開発者の水野さんが退職するという記事を読んで、たいへん驚きました。

水野さんがGT-Rと退職の経緯を語っています(要約)。

太字部分にご注目ください。

3月31日付で定年退職することは決まっていました。

後進に道を譲って欲しい、と会社から言われたからです。
 
GT-Rのブレーキはイタリアのブレンボ製です。ブレンボは鋳物技術で世界最高レベルの会社です。

そのブレンボは直径380㎜までしか作らないという。その以上の製品は保証できない、と言われたがGT-R用に390㎜で作ってもらった。これが水野スペシャルだ。

ショックアブソーバーはビルシュタイン製だが、ビルシュタインはショックの内圧の上限を決めていて、なかなか譲歩しなかった。が、もっと高い圧力のショックを要求し、最終的に認めてもらい作ってもらった。これも水野スペシャルだ。

サプライヤー(部品供給者)は会社ではなく、エンジニアに、人についている


太字部分から分かるように、自動車業界で、水野さんは日産自動車の「水野」ではなく、優秀なエンジニアの「水野」で通っています。


これこそが、水野さんが「自分ブランド力」を確立している人である、という証拠です。

ちなみに、水野さんは今、就活中で他の自動車メーカーだけでなく、電機メーカーや建設会社からでも声がかかれば就職する、と語っていました。

例えば、GT-Rの座席の下は1000℃にも達し、その熱を冷却する高度な技術は他の業界でも生かせるというのです。

他にも多くの技術の蓄積があるということです。

韓国のヒュンダイ自動車からオファーがあれば、行くと言っていました。GT-R以上のクルマを作る自信があり、ヒュンダイでも可能であるそうです。


⭐ 登場人物



⭐ 名車


不滅の49連勝


1971年日本グランプリでの日産スカイライン

”ハコスカ”と呼ばれました。別名”羊の皮を被った狼”。


⭐ スカイライン伝説



🔶 25~30歳の5年間、日産プリンスのディーラーに勤務しました。
当時、スカイラインのポールニューマンバージョンも扱いました。
イッセイ・ミヤケのデザインによるグッズもありましたね。
懐かしいです。40年近く前のことです。

スカイライン2000GT、グロリアSGL、フーガ250GTを乗り継ぎました。
現在はクルマを保有していません。 




⭐ プロフィール


⭐ 参考文献


⭐ 私の回想録



⭐ 私のマガジン (2022.07.29現在)





















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