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【マキアヴェッリ語録】 第10回
マキアヴェッリ語録
🔷 塩野七生しおのななみさんの『マキアヴェッリ語録』からマキアヴェッリの言葉をご紹介します。マキアヴェッリに対する先入観が覆されることでしょう 🔷
7年前にブログで投稿した記事を再構成し、時には加筆修正して、お届けします。(2015-06-07 20:35:04 初出)
目的は手段を正当化する
マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が人口に膾炙しています。
その思想を端的に表現する言葉は、「目的は手段を正当化する」です。
目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解することが多いですね。
実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、風説の流布でも経験することです。
福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、拡大していきます。
容易に訂正されることはありません。
話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなものであったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っていることの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。
先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾けることにしました。
マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。
![](https://assets.st-note.com/img/1649581607369-DZn1wICFkD.png?width=1200)
塩野七生しおのななみさんは、「まえがき」に代えて「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明しています。
尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を「抜粋」しました。
塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由
この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを御説明したいと思います。
第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証あかし、であったのです。
マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でもあるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身からして、釈然としないにちがいありません。
抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われないでしょう。
しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功したとしても、それだけでは、私の目的は完全に達成されたとはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つものを書くのが自分の目的だ、と言っています。
お待たせしました。マキアヴェッリの名言を紹介していきます。
マキアヴェッリの名言
第1部 君主篇
側近に誰を選ぶかは、君主にとって軽々しく考えてよいことではまったくない。
君主が思慮深いかそうでないかによって、優れた人材が登用されることになったり、無能な側近に囲まれることになったりするからである。
(中略)
側近が有能であり誠実であれば、それを選んだ君主は賢明な人と言うことができよう。なぜなら、人間というものを熟知しており、その人間の能力を活用することを知っているという証拠だからである。
人間の頭脳には3つの種類があることを、覚えておくべきであろう。
第1の頭脳は、自力で理解できるもの。
第2のそれは、他者が理解したことを鑑別できるたぐいのもの。
第3は、自力でも理解できず、かといって他者が理解したものへの鑑別能力もないもの。
第1の頭脳が最も優れ、第2の頭脳がそれにつづき、第3の頭脳は、無能の能を脳に代えてもかまわないほどと言ってよいだろう。
だが、第1の脳が最も少ないのが現実である以上、側近の選択の良否は、人の上に立つ者にとって重要このうえもないことになるのである。
結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである。
思慮に長け力量の優れた人物ならば、手中にした権力も、それを活用した後に誰かに譲り渡すようなことはしないにちがいない。
なぜなら、人間というものは善よりは悪に染まりがちなもので、前任者が高い目的意識をもって使った権力も、後継者となると、私利私欲を満足させる手段に使ってしまうことが多いからである。
とはいえ、いかに一人の力量豊かな人物が全精力を投入したところで、その投入のたまものを以後も維持していくのは、その他多勢の人間の協力によるのである。
そして、この最後のことなしには、国家の存続は保証されえない。
マキアヴェッリの語る言葉は深い
🔶 マキアヴェッリの語る言葉は深い、と思います。
マキアヴェッリは人間観察に優れた人だった、
と想像します。心理学にも長けていたのでしょう。
「君主」を「リーダー」に置き換えて考えてみるとより身近に感じられるでしょう。
🔷 マキアヴェッリは人間観察に長けた、ひとかどの人物であったことがよく理解できます。
側近、参謀と言い換えてもよいかもしれませんが、側近に誰を選ぶか、はとても大切なことです。
よくありがちなことは、yes-man(yes-personと言うべきでしょうか)を側近に選ぶことです。
君主(リーダー)の考えや指示を忠実に守り、遂行する人物です。たとえ面従腹背(表向きは従っているが、腹の中では背いている)であってもいいと割り切って、君主が側近に選ぶことがあります。
タイトロープを渡っているような不安定きわまりない状況を生み出します。いつ裏切られてもおかしくないのです。
側近に「ご意見番」を置くことができるかどうかが、鍵を握ると思います。
「裸の王様」になってはいけません。
ですが、自分より優秀な人物を側近に置くことをよしとしないリーダーが多いのも事実です。
自分の地位が危うくなると考えてしまうからです。
自信の無さの裏返しですね。
後継者選びも同じ文脈で捉えることができます。
自分がリーダーであった時、後継者よりも上であったことを示したいがために、自分より劣る人物を後継者に指名するのです。
そのため、会社や組織が弱体化してしまうケースは、少なくありません。
「結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである」
これはとても有名な言葉です。
マキアヴェッリの『君主論』の中で、最も有名な言葉です。
「目的は手段を正当化する」というセンテンスで語られることが多いですね!
目的を果たすためにはどんな手段を使ってもよい、と捉えられがちですが、そうではなくて、正しい結果が得られるように、あらゆる手段を講じるべきである、と考えました。
「全体最適を考えろ」「大局的見地に立て」と捉え直すと、この言葉の真意が理解できるのではないか、と思います。
『リーダーシップの本質』
堀紘一氏の『リーダーシップの本質』と対比していただくと、興味深い事実を発見できると思います。
🔷 著者紹介
塩野七生しおのななみ<著者紹介から Wikipediaで追加>
日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。
日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。
1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。
2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。
99年、司馬遼太郎賞。
2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。
2007年、文化功労者に選ばれる。
高校の大先輩でした。
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