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中高一貫校の中だるみ期から愛でてきた大切なものたち(中編 サッカー・野球編)

中高一貫校時代の中で比較的楽しかった中学3年生・高校1年生、いわゆる中だるみ期(注)の頃に出会い今日まで愛し続けているものや人物について語る企画の第二弾として、今回はこの2年間にファンとなり、今日まで応援し続けている2つのスポーツチームのことを語らせていただきます。
(注)一般的に中高一貫校では高校入試というものがないこともあり、中学3年生~高校1年生の時期になると遊びに夢中になったり、成績が急落したりする生徒が数多く見受けられます。そのため、教員や父兄の中にはこの2年間を「中だるみ期」と呼ぶ者も多いです。

(前編・乗り物趣味編はこちら)


3.ヴィッセル神戸応援

ヴィッセル神戸J1リーグ優勝(2023年)

中学3年生・高校1年生の2年間は、サッカー、野球の贔屓チームにも大きな変動があった時期でした。

以前のこの記事でも触れましたが、小学校高学年時点の私は、Jリーグではガンバ大阪をメインに応援し、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)も密かに応援しているという感じでした。
関西で最初のJリーグチームであるガンバ大阪を一推しにするスタイルに、大きな変化が訪れたのは1998年、中学3年生の秋のことでした。

当時、私は神戸の中高一貫男子校で社会奉仕委員会に所属しており、2学期の中間試験終了直後、神戸市内の公園で開かれたあしなが育英会のイベントに有志でボランティアとして参加することになりました。
このイベントに、当時Jリーグ参入後3年目だったヴィッセル神戸の選手数名が社会貢献・地域交流の一環で参加されていたことが、私とヴィッセル神戸の出会いになりました。
岩下潤選手(現清水エスパルスU-15監督)ら数名の選手と一緒に体操をしたり、解散時に記念品のタオルをいただいたりした縁で、これからはヴィッセル神戸も応援しようと決めた15歳の私。

ボランティアに参加した何週間か後、神戸ユニバー記念競技場で行われたコンサドーレ札幌とのJ1リーグ参入決定戦第1戦(注2)を観戦しに行くことに。
看板選手だったストライカー・永島昭浩選手と、後にチーム初の日本代表選手となる海本慶治選手のゴールで2-1で勝利。その後札幌での第2戦も勝利し、見事翌年からのJ1リーグ参入を勝ち取った時は大層喜んだのを覚えています。
(注2)1999年シーズンからJリーグが2部制を導入するのにあたり、1998年シーズンのJリーグの18チームのうち下位4チームと、JFL2位だったJリーグ準会員クラブの川崎フロンターレにより争われた、事実上の1部2部入れ替え戦。
詳細はこちらのリンク(フリー百科事典Wikipedia)参照。

あれから26年。途中、他の趣味に浮気してスタジアムから足が遠のいた時期もあったのですが、何年かに一度ワールドカップ日韓大会に合わせて装いを新たにしたウイングスタジアム神戸(ノエビアスタジアム神戸)で声援を送っていました。
この間、運営会社の経営破綻二度のJ2リーグ降格など数々の試練に見舞われましたが、ヴィッセル神戸は2020年の天皇杯、2023年の明治安田生命J1リーグでそれぞれ優勝。歓喜の輪に加わりながら、あの時ファンになって良かったとつくづく感じました。
執筆時点(2024年5月23日現在)、ヴィッセル神戸はJ1リーグの2位に立っており、首位返り咲き・連覇に向けて気が抜けないところです。

【追記】1998~1999年シーズンの日本サッカー界では、このような出来事もありました。
・日本代表ワールドカップ初出場(1998年)
3月までの悪夢のようないじめから解放され、平和な学校生活が始まって間もない6月。世間はサッカー日本代表が初出場したフランスワールドカップに沸いていました。
日本代表は1次リーグ3戦全敗というほろ苦い結果に終わりましたが、時差も幸いして全試合を自宅でテレビ観戦。アルゼンチン相手の大健闘や、ジャマイカ戦後半の中山雅史選手のゴールに熱狂したものです。
・横浜フリューゲルスの消滅(1998年)
突然の横浜マリノスとの合併発表、実らなかった合併反対運動、合併発表からの連戦連勝の末、天皇杯決勝で清水エスパルスを下して有終の美。
大阪近鉄バファローズの時も思いましたが、スポーツを愛する者としてこれほどまでの理不尽は断じてあってはならないことです。
・ジュビロ磐田と清水エスパルスの静岡ダービーチャンピオンシップ(1999年)
7年目のシーズンを迎えたJリーグは、1stステージ優勝がジュビロ磐田、2ndステージ優勝が清水エスパルス。ということで、チャンピオンシップは静岡ダービーとなりました。
私の家族にはジュビロファンとエスパルスファンが両方いて、お互いの贔屓チームについて日々熱い論戦が交わされていたのをよく覚えています。
ちなみにチャンピオンシップを制して日本一に輝いたのは、ジュビロ磐田でした。

4.千葉ロッテマリーンズ応援

千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンフィールド)(2014年)

今となっては恥ずかしい限りなのですが、高校進学当時の私は、地元の阪神タイガースが暗黒期だったこともあり、プロ野球の世界から遠ざかっていました。

そんななか高校1年生の秋、1999年シーズンの終盤、クラスメートに誘われて大阪ドーム(現京セラドーム大阪)での大阪近鉄バファローズ対千葉ロッテマリーンズの1戦を観戦したことが、私にとって大きな転機となりました。
それまでパ・リーグといえば、全盛期の西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)、オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)あたりを軽く応援する程度だった私ですが、この時マリーンズの外野応援を体験し、勝ち試合を観ることができたことで、以降パ・リーグの一推し球団はマリーンズ(注)となりました。

ちなみに一浪して大学に進学した後、高校時代同じ部活で、大学でも同じサークルで活動することになった後輩もマリーンズファンであることが判明。さらに社会人になってからは、SNSを通じてマリーンズファンの輪が広がり現在に至っています。

今も時折京セラドーム大阪やほっともっとフィールド神戸で、マリーンズを応援していますが、2005年にパ・リーグ優勝&日本一、2010年にパ・リーグ3位からクライマックスシリーズ、日本シリーズを制し日本一に輝いた際、皆で味わった勝利の喜びをそろそろまた味わいたいものです。

(注)2006年以降はオリックス・バファローズも応援しています。

【参考記事】私がマリーンズファン・バファローズファンになった経緯については、こちらの記事にもまとめています。

以上長くなってしまいましたが、中学3年生・高校1年生の2年間の好きなスポーツチームとの思い出をつらつらと綴ってみました。
最終回となる次回は、当時推していた女性タレントの方々を振り返る予定です。


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