二十歳になった息子に伝えられることがあるとすれば
いつものように暇つぶしにInstagramで色々と見ていた。女子プロゴルファーNelly Kodaの一見細く見えるのに半端ない体幹の鍛え方を見て凄いなー、と思ったり、Tiger Woodsの現役バリバリの時のマスターズの信じられないショットを見たり。何故運動音痴の僕がゴルフを今更ながらやっているかは別に話すとして、その中に次の投稿(正確にはそれを参照した誰かの映像)があって、瞬間的に「そっか!そういうことか」と思ってここに整理して、書いてみようと思う。
息子が大学入学してから2年が経過して3年目。どうやら若い人たちに聞いていると3年生の夏のインターンシップが就職を考える上で重要らしい。でも、そこで息子に何かアドバイスをしてあげようと思ったときに困った。なにせ自分自身が自分の就職活動する頃には存在しなかった会社で働いているわけで、多様な選択肢の中でおススメなるものが存在しない。何をススメていいのかもわからない。さて、どうしたものか?何か伝えるべきことがあるのか?
20代の努力
自分がどこで鍛えられたのだろうか?と振り返ると成長率でいえば間違いなくスターバックスコーヒージャパンにおける4年間だと言える。労基法による制約はもちろんあったのだろうけど、自由に好きなだけ働かせてもらえた。研修というものはなく、予算管理系の本3冊を渡され、EXCELではマウスを使うな!と指示されただけ。転職してしまったし、ともかく何とかこの会社で役に立つ人間になろうと、上司の努力する姿に引っ張られながら必死だった。自分に与えられた職務をただひたすら全うしようとした。当時のNasdaq Japanへの上場にも関与したし、取締役会に出席したり、アメリカからきたCFOに詰められたりした。会社というものがこうやって動くのか!というものを身に染みて理解したし、スタバというサービスが世の中にどんどん広まり、歓迎されるのも体感した。部下も持ち、チームマネジメントを経験した。ついでに業績の急降下、多くの人が会社を去っていくのも目にした。
自分も迷い、上司のアドバイスもあり慶應ビジネススクール(MBA)に進学した。このMBA課程も半端ない勉学を強いる環境だった。最後には成績優秀者として表彰されたのは良かった。2年間、ひたすら人前で堂々と(恥ずかしさを押し殺して)自分の考えを述べること、経営問題に没入して何が問題なのか考えること、それをただただ繰り返した。スタバでの経験しかないけど、それをベースに脳ミソを鍛えなおした。本質的に何が問題なのか?という思考回路を鍛えた感じ。
キンコン西野の言う20代の差は埋まらない、は確かに正しいと今は思う。上記の経験は、30代での東証マザーズ上場企業の管理部門の責任者に繋がるし、その後も経験を積み、学び続け、そして今のスマートニュースでの仕事に活きている。キャリアはいつから積み上げられるか?で根本的に積みあがる高さが違ってきてしまう。1時間で積み上げられるブロック量と50分で積み上げられるブロックとは違う。10分のハンデをひっくり返すのは極めて難しいのだ。経験曲線はやはり経験量がモノをいう。
20歳前後の空白
僕の父は19歳の時に突然他界した。ちょうど一浪して大学に合格した頃だった。今でも僕は自分が何をしていたのかの記憶がほとんどない。あんなに仕事を頑張り、家族を思っていてくれいた父が、突然人生を終えた。1週間後には後任がやってきたと聞いた。皆が就職していく中で、専門職として税理士にでもなって生きていくかな?と思って小さな税理士事務所に入所した。それでもエンジンがかかったのは25歳くらいだっただろうか?簿記論・財務諸表論に一発合格。会場となった立教大学の傍で出会ったのがスタバの立教ストリート店だった。それがスタバへの就職に繋がる。
今思えば、その瞬間までの5年前後の時間の差、そこで何に取り組んでいたのかの差が、今も響いている気がする。僕より若い有能な経営者達と知り合うたびにそれを感じる。別にスキルとか仕事とかではなくて、何かに夢中になるとか、のめりこむとかの経験そのものの大事さを言っている。経験曲線はそういうところから始まっているんだ。Steve Jobsが言うように点と点はどこかでつながるのだ。
何かに時間を使い切ること
キンコン西野の文章を読んでいると、ともかく打席に立たせてもらう事の大事さを言っているように思う。それは芸能の道であれ、大企業で働くことであれ、海外進学であれ、起業であれ、何でもいいのだ。確かに30代は忙しい。子育てで保育園への送迎とか子供の受験とか。40代になれば教育費も相応にかかるし、人によっては親の介護ものしかかる。20代は最後の自由時間なんだ。だからこそ20代という3650日を惜しまず使い切ることが大事なんだと考える。社会の変化も激しいし、〇〇リテラシーとかも身に着けていないといけない。40半ばで初めてIT業界に入り込んで、こんな風に仕事を進めていく会社があるんだ!知らないでいたら危なかったと何度冷や汗をかいたか。息子のITリテラシーにすでに僕は相当差を付けられている。こういう若者が入社してきたら、部長や課長は特定分野では決定的な敗者になる。
50代は惰性でいけるのか?
キャリアというものを考えた場合、いまの50代が一番危険かもしれない。このまま逃げ切ってあとは後半生をと思っている人も多いかもしれない。でも、ここまで円安が加速しているなかで円資産しか持っていない人は、物価上昇に耐えられないだろう。年金受給額が円安に追い付くように増えるとも思えない。海外投資で自己資産を運用するとか、自分を再度鍛えなおして海外で働ける人材になるとか、いままであまり考えて来なかったリスクマネジメントが問われることになると考える。自分の親父世代とは向き合う環境が違う。インバウンドは何を意味し、円安の背景を知り、日経平均が上昇する理由を知るべきだ。他にも知るべきことがあるかもしれない。そうでなければ息子や娘のお荷物になるしかないかもしれない。それは自分が望むことだろうか?
70代に向けて
息子に伝えたいことを書いていた。20代の時間を使い切ってほしいということだけが言いたかった。でも、付け加えるなら、それで人生の投資期間や研修期間が終わるわけではない。そこからまだまだ人間は脱皮を繰り返していかないといけないのだ。
僕は70代に向けて、身体を鍛えなおし、信頼するゴルフコーチのもとで日々上手くなろうと努めている。それは70代でも様々な年代(といっても大半は若い人になる)と関わっていきたいと思うからだ。仕事に面倒な人間関係にウンザリして、身体が思うように動かないことも沢山あるけど。
僕は日本で産声を上げている新しい会社を自分なりに底上げしていきたいと思っている。アントレプレナーシップを持つ人が物凄く増えていることを感じる。日本人が消極的なんて誰が決めたのか。自ら手を挙げる人も、その人に手を差し伸べる人も増えてきている。会社を作って自分の信じたサービスを世に出そう、人を雇って最高のチームを作ろう、何とか継続的に利益が出てサービスをより良くしていこう、そういうマインドの人に出会う。僕は、今までの経験を活かして助けて行くことにした。あと四半世紀くらいの余生でやろうと思う。そのために必要なインプットを徹底しないといけない。それが僕の50代3650日の使い方だ。
感謝
そういう可能性を気づかせてくれたのが慶應ビジネススクール後輩で起業家の笠井綾子さんだった。今、彼女は同窓生と、ルワンダと日本でSpikerというフェムテックの会社を起業している。謝意を伝えたい。
全ては繋がる。
20代の3650日を精一杯使い切ってほしい。成功するとか失敗するとかはどうでもいいのだ。すべては何か繋がると信じて、積み重ねていくことがとても大切なのだと思う。それを息子に伝えようと思う。
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