見出し画像

人生のテーマは「仕事」 【小説あとがき】

果たして、天職と呼べる仕事についている人は、この世にどれだけいるのだろうか。いや、そもそも天職とは何だろう?

後で振り返って「良かったな」と思える仕事もあるだろうし、「これこそが天職」と思っているけれど、数年後に違うことになっているかもしれない。分かりやすく一言でいい切るのは簡単だけれど、死ぬまで何が良かったかなんて、わかるはずもない。だから、その時のその人がOKだと思える仕事であれば、いいのだと思う。

※小説「強制天職エージェント」のあとがきを兼ねた記事です。


転職しまくり人生

私は3年以上1つの職場にいたことはない。転職理由は「どうしても合わなかった」「辞めなくてもいいけど飽きた」「会社都合」など理由はさまざま。教育熱心で厳しい家庭に育ち、理想とされるレールに途中まで乗っていたのが外れたため、そこからどうでもよくなり、自分の思いに忠実に生きてきた結果こうなった。

同様に恋人や結婚も3年以上続いたことがない(こちらに関しては、次こそ……)。変わらないのは、実家の家族との関係くらいのものだろうか。ま、これが私なので仕方ない。それ以外で、職場は変わったとしても、3年以上続いている唯一のことが「執筆の仕事」。社員だったりフリーだったり、取材ライターに編集だったりとマイナーチェンジしながら、何とか飽きずにやっている。今は取材ライティングに飽きてきたので、またマイナーチェンジの時期が来ているらしい。

好きじゃないと思っていても環境次第

そんなわけで、「仕事って何だろう」というのが人生のテーマの1つになっている。学生の頃は研究者になりたいと思っていたが、現場に身を置いてみたらまったく合わず挫折した。

その後、短期間だけ働くつもりで、雇用条件だけで決めた飲食関係の営業事務をした。すると飲食にも営業事務にも全く興味がなかったのに、上司が面白い人だったため、意外にもかなり楽しめ、仕事でも力を発揮できた。私は自分の性格上、「営業だけは絶対にしない」と決めており、親の影響からか「営業は胡散臭い」みたいな勝手なイメージがあったので、あまり好きではなかったにも関わらず。直属の上司は、人間的にも魅力があり優秀な人だったため、思い込みがバンバン外れていった。

自分よりずっと年下の子が先輩のルーティンワークも経験しこともあれば、某メディアで父親くらいの年齢のベテランから、記事の書き方ってやつをゼロから叩きこんでもらったこともあった。今おもえばブラック企業みたいなところにも行った。行く場所行く場所、同じ世界とは思えないほど人の考え方も何もかも違っていた。

続けたくても無理だったところ、「二度とやるか」と思いながら辞めたところもあるが、それぞれに一長一短。全部が糧になっている。自分が「こうでなければ」と信じていたものは、必ずしも正しいわけではない。ちっぽけな自分の脳みそより、運命にゆだねた方がうまくいくことを実感した。

仕事とはなんぞや

私は男性と仕事の話をするのが好きなのだが、仕事に向かうスタンスについてよく考えさせられる。誇りをもって働いているように見えても、「コンプレックスの反動なのかな」とか「仕事が嫌いではなさそうだけれど、家族を養うことを考えると、他の選択肢が入り込む余地がないだけでは」と感じることもある。

「仕事は好きですか?」とか「楽しいですか?」と聞くと、9割以上が少ししてから「はい」と答えるのだが、一呼吸迷っているフシがある。そもそも、特に男性に対してこの質問は愚問なのかもしれない。ただ、迷いなく答えられる人にはほとんどあったことがない。男性の場合は、愛する女性や家族がいることで頑張れるという人もいるから、女性的な考え方には当てはまらないのだろうが。女性の方が「楽しい」と断言する割合が高い。

男女関係なく、仕事を嫌々やっていたり、変なコンプレックスを抱えたまま無理して限界値を超えると、本人は隠しているつもりでも、どこかでほころびが出てくる。それは、部下への嫌味だったり、必要以上に人の顔色を伺ったり。それすらしないイイ人だと、ストレスがかかりすぎてお酒やギャンブル、あるいは仕事に依存したり。

みんながそれぞれの天職につけたら、この世は平和になるんだろうな、と思う。というか、天職を見つけられるマインドを持っていればうまくいくのだろう。

価値観が違いすぎるとすれ違うのみ

転職の多い私は幸か不幸か、いろんなバックグラウンドを持つ人や全く別の環境に置かれている人に出会い、会社というコミュニティを渡り歩くことで見えてくる事実があった。同じ職場でも同僚や仕事先でも色んな人に出会えるが、それだけでは分からないことってけっこうある。場所、業種、職種で同じところにいる人は、ある重要なポイントで共有している価値観があるため、あまりに違う人には出会わないようになっている。出会ったとしても、一瞬すれ違うだけ。

良くも悪くも「こんな価値観を持っている人って、テレビの中だけだと思ってた」ということに遭遇するのだが、決してバカにしているわけではない。ネットやテレビを見れば色んな人がいるので、理解したつもりになりがちだが、現実で出会うことで腑に落ちる度合いは雲泥の差だ。

一般の人にとって、価値観の違う人には出会わない方が幸せかもしれないが、”人”を知りたい私にとっては楽しい瞬間だ。会う人すべてが取材対象、みたいな。

この小説について

仕事ってこうやって見つけたらいいんじゃないかな、という1つの理想を描きたくて、自分の経験を取り入れつつ書いた。これを書くきっかけになったコンテストのお題が「バディもののお仕事小説」で、「仕事しなきゃ。でも面白くないことはヤダ」などと考えているニート時期だっため、すぐ浮かんだ。主役とその相棒のコンビは、シャーロックホームズがオマージュ。

転職エージェントは利用したことがあるものの、内情は良く知らない。が、きっとその人の知らない1つ上の立場から俯瞰して見られる人で、業界にかかわらず、コンサルとかカウンセラーとかはみんなそういう人たちだろう。

本来なら、組織内にそういう人がいたらいいのに、と思う。上司であったり、人事であったり社長であったり。人を使う立場の人が、みんな俯瞰的な視点で社内を見れたら、外部コンサルに依頼する必要もないし、社員の不満も減らせそうなもの。が、いかんせん、年功序列だったりプライドだったりが邪魔をしている。現場で優秀な人が管理職として優秀とは限らないのに、「新入社員はこの仕事から」など通り一辺倒でシステム化するから、ひずみが生まれる。

ただ、こういったことはキレイゴトでしかないのも分かっている。だから、「もし私が社長なら適材適所の仕組みがいいな」と妄想しつつ、キレイゴトを貫きたい人達の話を書いてみました。

他にも色々書いてます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?