竹内真彦

『三国志演義』の書誌学的研究を主として、三国志に関する研究活動をしています。 本業は大…

竹内真彦

『三国志演義』の書誌学的研究を主として、三国志に関する研究活動をしています。 本業は大学教員なので、時々それに関することなども。

最近の記事

「赤兎」について

もりすずなさんの上記のツイートに触発されて、少しメモ。 もりさんの引用される「伯楽相馬経」は、その名の通り、「伯楽」の著ということになっています。相馬の達人としての伯楽の名は、『荀子』『荘子』『列子』などの先秦諸子に見え、『列子』は秦穆公(在位前659-前621)に仕えた、としています。これをそのまま信じるのであれば、紀元前7世紀に生きていたことになります。 その伯楽の著とされる、「伯楽相馬経」に「赤兎」を名馬と示唆する記述があるわけですから、これは『三国志』呂布伝の赤兎

    • 「新解釈・三國志」(その3)

      「新解釈・三國志」感想その3。これで一区切りのつもりです。 今回はやや「メタ」な視点から。 三国志オタクとしての履歴が40年に達しようとしている筆者のような人間にとって、ここ10年の日本における三国志コンテンツの有り様は(かつての盛況を知っているからこそ)寂寥たるものです。冷徹に言えば、(日本に限れば)コンテンツとしての三国志は死に絶えようとしているのかも知れない。 しかし、三国志の愛好者としてその状況は耐え難い。そんな中で「新解釈・三國志」の出来は、この上ない福音でし

      • 「新解釈・三國志」(その2)

        「新解釈・三國志」感想その2です。 この映画を特徴づける要素として「人が死なない」ことが挙げられます。 三国志の物語は人が死にます。嫌になるほど死にます。戦乱の時代を扱った歴史劇である以上、致し方ないとは言えますが、「実写化」の大きな壁には違いありません。 アニメ・マンガ等であれば、かなり直接的な描写であっても、何故か非難される度合いが薄いような気がするのですが(「鬼滅の刃」とか)、実写はまあ厳しい。三国志関聯でいえば、昨年公開された「影 SHADOW(邦題「SHADO

        • 「新解釈・三國志」(その1)

          ネット上が「三国志ファン」による批判であふれかえる前に感想を書き始めようと思います。たぶん、何回かにわけます。 ひとえに「この映画を『殺す』のは三国志にとっての損失だ」と思うからです。 私は福田監督はじめスタッフの三国志への思いがどんなものかは知りません。しかし、十分に、これまでの三国志遺産へのリスペクトはあったと思います。その話から始めてみましょう。 長坂坡の場面。ナレーションでは糜夫人を「正室」と紹介しています(語そのものはうろ覚え)。『三国志演義』では糜氏と甘氏を

        「赤兎」について

          開設の辞(表)

          はじめまして。竹内真彦と申します。 三国志の研究をしております。本年9月に『最強の男:三国志を知るために』を上梓いたしました。 noteでは、これまで発表してきた論文のリライトや新規の論考などを主に展開してゆきたいと思っております。 裏のテーマとしては、「学術雑誌・書籍中心のメディアに拠らない人文学研究は成立するのか」ということを設定しています。 私的な思いにはなりますが、人文学の研究というのは「読まれてナンボ」です。シビアに言ってしまえば、如何に秀れていようと、読者

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