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現代の政治学者は『孫子』をどのように解釈しているのか

紀元前の中国で活躍した兵家である孫武(生没年不明)の著作『孫子』は、今でも軍事の世界で古典とされていますが、現代の政治学者は、その内容をどのように理解しているのでしょうか。

『孫子』が戦争に対する深い洞察に裏付けられ、当時の中国の軍事情勢を反映していることは明らかですが、政治学の観点からその内容を検討すると、読み取れることはそれだけではありません。

『孫子』は特定の政治体制に適合するように書かれており、それは戦争の目的は政治によって規定されることをよく理解していたことが浮き彫りになります。

この記事では、合理的選択理論を国際政治学に応用した功績で知られるアメリカの政治学者ブエノ・デ・メスキータ(Bruce Bueno de Mesquita 1946 - 現在)とアラスター・スミス(Alastair Smith 1948 – 2019)の著作『独裁者のためのハンドブック(The Dictator's Handbook)』(2011)から、『孫子』に関する議論を紹介してみたいと思います。

権力者は自らの支持者に見返りを与えなければならない

ブエノ・デ・メスキータとスミスは、19世紀の軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という命題を受け入れています。

つまり、あらゆる戦争は本質的には権力者が自らの支配体制を維持するための政略の一部であり、戦争を政治的な観点から分析することが、その戦争の理解に繋がると考えたのです(ブエノ・デ・メスキータ、スミス、292頁)。

クラウゼヴィッツが語る戦争と政治の関係については、以前の記事でも紹介したことがあるので、詳細についてはそちらもご確認ください。

さらに、権力者の政略が成功するためのポイントとしては、権力者が自らの地位を安定させることを可能にする支持基盤に対して、十分な見返りを与えることであると考えられています。

特に少数の特権的階級の支持だけで政権を運営できる場合は、彼らを個人的に買収することが政治家にとっては欠かせないと論じており、これを政治分析の基本的な立場として位置づけています(同上、61頁)。

『孫子』の背後に存在する損得勘定を理解する

このような政治理論の観点から『孫子』の内容を検討する場合、注目されるのは孫武が戦争を行う際に財政を絶えず考慮に入れていることです。ブエノ・デ・メスキータとスミスは『孫子』の次の箇所を取り上げています。

「戦上手といわれる智将は、繰り返し兵を徴募しないし、国から戦地に食糧を運ばせない。一旦、戦端を開けば時を移さず、増援を待たず、一気に敵に攻め込む。敵の先を行く時間の価値は、軍勢の多さや作戦の巧みさよりも肝要である。そして、敵兵を殺すということは奮い立った気勢によるものであり、戦利品を奪い取るのは兵への報酬のためであり、捕虜も褒美として使う。兵は、各々自らの手柄のために勝利することを尊ぶのである」(同上、294頁)

興味深いのは、『孫子』が兵書であるにもかかわらず、軍隊の作戦運用よりも、国家の財政運営の方を優先するように推奨していることです。

ブエノ・デ・メスキータとスミスは、この戦略思想の特徴とは、(1)数的優越の軽視と機動戦の重視、(2)戦時に動員する資源を節約するための短期決戦の追求、(3)兵士の士気を高めるための戦利品の活用の三点であると考えました(同上、295頁)。

権力者が自らの政権を維持するために見返りの分配を必要としていることを想定すると、『孫子』の戦略思想はどれも軍事行動に伴う経費の節減と、そこから得られる利益の拡大を目指すという点で一貫しています。

つまり、孫子は戦場で敵を打ち負かすことを必ずしも絶対的な目標と見なしておらず、失う戦費に対して得られる戦果を財政的な観点から絶えず考慮しようとしているのです。

『孫子』の戦略思想の限界を確認することの意義

ブエノ・デ・メスキータとスミスは、『孫子』に見られる利益重視の考え方が、かなり小さな支持者集団に依拠して政権を運営する場合において適合的だったと考察しており、民主化が進んだ国で採用される戦略思想とかなり異質なものであると評価しています。

彼らは「孫子が、長い間戦争についての研究で影響を及ぼしてきたのは、明らかに彼の助言が小さな盟友集団に依拠して支配する王や専制君主にとって正しい助言だったからである」と述べており、古代中国の政治体制を想定いていたことを強調しています(同上、321頁)。

例えば、現代の日本の状況に引き付けてみると、戦争を損得勘定という観点だけで語ることは日本において一般に受け入れられてはいません。

第二次世界大戦の経験を通じて、日本の社会規範には反戦的、反軍的な思想が持ち込まれており、法規範としても日本国憲法の9条に見られる平和主義の原則が確立されているため、あらゆる防衛行動において世論と法令の制約を無視することは不可能でしょう。

このようなことから、『孫子』の戦略思想は国民の世論や憲法の制約を考慮から外すことができる場合において妥当性を持つと言えるでしょう。

もちろん、そのことで『孫子』が持つ古典的な価値が損なわれるわけではありませんが、その教えを無批判に受け入れ、現代の戦略思想と同列に見なすべきではないでしょう。

むすびにかえて

人文科学の伝統を継承する研究者は、古典の内容を積極的に解釈することによって、現代の問題にも通じる深淵な普遍性に見出そうとすることがありますが、古典を批判的な観点から解釈すべき場合もあります。

今回取り上げた『孫子』の戦略思想も批判的に解釈すべき部分があり、現代の政治情勢における妥当性については慎重に判断すべきでしょう。

政治学から離れてしまいますが、私は現代軍事学の観点から『孫子』で提示された状況判断の手法が異文化の敵対勢力を相手にして戦うことを想定していないのではないかと指摘したこともあります。ここで指摘した点以外にも、『孫子』の限界についてはさまざまな角度から議論することができるのです。

学問は日々、進歩しており、過去の学説はいずれ新たな学説によって置き換えられるものです。『孫子』の戦略思想に関しても、現代の観点から見れば、陳腐化している部分があることを知っておくべきでではないかと私は思います。

©武内和人(Twitterアカウント

参考文献

ブルース・ブエノ・デ・メスキータ、アラスター・スミス著、四本健二、浅野宜之訳『独裁者のためのハンドブック』亜紀書房、2013年

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