見出し画像

なぜ潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)が抑止に役立つと考えられているのか?

1950年代は冷戦史で核兵器の主要な運搬手段が爆撃機から弾道ミサイルに移行し始めた重要な時期です。1957年10月4日にソ連が世界初の人工衛星であるスプートニク1号の打ち上げに成功したことで、ソ連軍は弾道ミサイルを使用し、アメリカを核弾頭で奇襲する能力を持っていることを示しました。

アメリカ軍は、ソ連軍の第一撃によってアメリカ軍の核兵器が撃滅され、反撃不能となれば、実質的に核抑止が成立しなくなるのではないかと懸念を深めました。ポール・バッカス(Paul H. Backus)は、この懸念を払拭するために、原子力潜水艦に弾道ミサイルを搭載して潜航させることをいち早く主張したアメリカ海軍軍人の一人であり、彼の議論を知ると、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)が抑止戦略にどう寄与すると考えられているのかが分かります。

1959年5月、『プロシーディングス(Proceedings)』に掲載された「最小限抑止、制御された報復(Finite Deterrence, Controlled Retaliation)」と題する論稿で、バッカスはアメリカ軍がどのような形態でソ連軍から奇襲されたとしても、ソ連の主要な工業地帯を壊滅できるだけの報復能力だけは残存させるべきという抑止戦略の基本を確認しています。

ただ、弾道ミサイルで攻撃される場面を想定すると、味方の戦略爆撃機や弾道ミサイルの基地を堅固に防衛する態勢を構築しようとする取り組みは費用がかかりすぎるとも指摘しています。そこで原子力潜水艦は、国防予算の制約内で反撃能力を確保する手段として注目されています。

原子炉を利用することによって蒸気タービン機関ボイラー発電機を動かすことが可能な原子力潜水艦は、長期にわたる潜航が可能です。そのため、平時にその所在を秘匿することが可能です。核弾頭を搭載した弾道ミサイルが発射可能な状態で海中に潜航しているのであれば、仮にアメリカ軍がソ連軍から弾道ミサイルで第一撃を受けたとしても、原子力潜水艦に塔載された核ミサイルは残存しているので、アメリカ軍の核戦力が全滅することは避けられます。つまり、ソ連軍の奇襲で反撃不能に陥ることがない態勢となるため、ソ連軍は奇襲を思いとどまると期待できるのです。

当時、すでに開発が進んでいた潜水艦発射弾道ミサイル「ポラリス」は、この任務に最適な装備だとバッカスは主張し、これをアメリカの抑止戦略の基盤として位置づけました。原子力潜水艦に塔載可能な潜水艦発射弾道ミサイルの弾数は限られているので、ソ連の軍事施設、工業地帯をすべて壊滅させることが難しいのですが、バッカスはそもそもソ連の軍事施設や産業設備のすべてを破壊できなければ抑止が不可能であると見なす必要はないという議論を展開しています。

バッカスが分析したところ、ソ連の重工業中心地の数が200に満たないので、あとはソ連軍の防空網を弾道ミサイルが突破する過程で発生するであろう損失と、ミサイルそれ自体の信頼性の問題、つまり技術的な故障で発生するであろう損失を加算し、必要な弾数を見積ればよいと考えられます。つまり、それ以上の核ミサイルを配備することは抑止戦略として不必要なことであると考えられています。

ただ、潜水艦から発射される弾道ミサイルには正確性の面で大きな技術的な課題がありました。動揺しやすい艦艇から発射される弾道ミサイルは、地上から発射される弾道ミサイルに比べて目標に命中しにくいという欠陥がありました。ただ、この欠陥はその後の誘導技術の発達によって少しずつ解決されてきました。もし奇襲で第一撃を加えられたとしても、核兵器で何らかの反撃が可能であることを知らせておけば、戦略的に開戦を思いとどまらせる確率は高まると考えられるので、潜水艦発射弾道ミサイルの出現は抑止の安定性を高める効果があったといえるでしょう。

ちなみに、1970年代以降にアメリカのみならず、ソ連も原子力潜水艦の増強を積極的に進めるようになったことで、アメリカ海軍は新しい脅威に直面することになり、対潜戦の研究に注力するようになるのですが、その歴史に関してはまた別の記事で取り上げたいと思います。

見出し画像:Polaris A1 SLBM on the pad in Cape Canaveral

参考文献

Backus, Paul. Finite Deterrence, Controlled Retaliation, Proceedings of the U.S. Naval Institute, March, 1959, pp. 23–29.

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。