マガジンのカバー画像

歴史を学ぶ

188
歴史に関する記事をこちらにまとめています。
運営しているクリエイター

#戦争

なぜ大国の脅しが失敗するのか?: Coercion, Survival, and War(2015)の紹介

国力に優れた大国は、自国の要求を他国に押し付けやすくなるというイメージがありますが、実際…

100

論文紹介 戦争の複雑性とマーケット・ガーデン作戦の敗因

軍事学の研究では戦争の結果は完全な予測が不可能であり、複雑性に富んだ現象であると考えます…

論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

日中戦争で中国が仕掛けた交通基盤の破壊工作にどのような効果があったか?

日中戦争(1937~1945)で中国共産党を率いた毛沢東は、日本軍の脅威に対して遊撃戦として知ら…

大英帝国の覇権を可能にした電信の歴史を語る『ヴィクトリア朝時代のインターネット』…

科学技術ジャーナリストのトム・スタンデージ(Tom Standage)は、19世紀にモールス符合を用い…

メモ なぜ中国はベトナム戦争に介入したのか?

1965年、中国は北ベトナムに戦闘支援部隊を派遣することを決定しました。当時、北ベトナムはソ…

第一次世界大戦におけるフランス軍の戦略と作戦を分析したPyrrhic Victory(2008)の紹介

第一次世界大戦(1914~1918)でフランスは西部戦線の作戦で中心的な役割を果たしました。フランス軍が戦場に送り出した兵の数は841万名に上り、そのうちの138万名が命を落としました。Robert A. Doughty氏の『ピュロスの勝利(Pyrrhic Victory)』(2008)は陸上戦を中心にフランス軍の戦略と作戦の変遷を記述した研究成果です。 Doughty, R. A. (2008). Pyrrhic Victory: French Strategy and

論文紹介 19世紀の長い平和の後で英国海軍の戦術能力が大きく低下した理由

イギリス海軍はナポレオン戦争(1804~1815)を通じて数多くの戦闘に参加し、その能力の限界に…

論文紹介 戦争のエスカレーションから抜け出せない指導者の心理を読み解く

研究者は戦争に関する意思決定過程を考えるとき、その戦争を即座に中断したとしても取り戻せな…

パレスチナとイスラエルとの間で続く暴力の応酬に迫ったThe Israeli–Palestinian Con…

イスラエル人とパレスチナ人の対立には歴史があり、オスマン帝国の時代にまでさかのぼることが…

メモ 1967年の第三次中東戦争でイスラエルが実施した空軍による奇襲

イスラエルは建国当初から周辺諸国と対立してきましたが、国土が狭隘であったために、軍事態勢…

論文紹介 朝鮮戦争とベトナム戦争で米軍が消耗戦を選んだ理由は何か?

消耗戦(attrition warfare)が望ましくないもの、非合理なものと見なされることが多い主な理…

軍事上の必要性と社会の価値観をいかに調和させるか?『市民と軍人』(1985)の紹介

現代の国際社会でアメリカが指導的地位を維持できている要因の一つは、その軍事的能力の優越に…

メモ 時代によって軍事的プロフェッショナリズムの内容は変化していく

近世ヨーロッパにおいて軍人、特に将校の階級は貴族の男性だけに開放されており、金銭で職位が売買されることもありました。このような人事慣行が廃れるきっかけを作ったのが18世紀末から19世紀初頭にかけて発生したフランス革命戦争とナポレオン戦争であり、フランス軍では貴族の出自を持たない人材が将校として運用されるようになりました。 この制度が成功したことを踏まえ、19世紀に列強は軍事教育の制度を近代化し、能力に応じて平民を軍人とするようになりました。この時期に軍人が身分から切り離され