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歴史を学ぶ

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歴史に関する記事をこちらにまとめています。
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#戦争

ハイブリッド戦争とは何だったのか?:Conflict in the 21st century(2007)

アメリカ海兵隊の退役軍人フランク・ホフマンは、2006年のヒズボラとイスラエルの戦争の分析を…

文献紹介 なぜヒトラーは情報戦に敗れたのか:Hitler's Spies(1978)

2024年1月、軍事情報の歴史を専門とする歴史学者デイヴィッド・カーンが亡くなりました。彼の…

第一次世界大戦の経験をもとに機動戦の可能性を追求したフラーの考察

20世紀のイギリスの軍人ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーは、第一次世界大戦に参加し…

戦間期の米軍はいかに「作戦」の視点を確立したのか:Carrying the War to the Enemy(…

現在の軍事理論では、軍隊の戦略行動と戦術行動を統合し、指導する技術を作戦術(operational …

論文紹介 軍事作戦において指揮官が認識すべき情報の意義と限界

マイケル・ハンデル(Michael I. Handel)は軍事学の分野で情報戦に関する業績を数多く残した…

なぜ大国の脅しが失敗するのか?: Coercion, Survival, and War(2015)の紹介

国力に優れた大国は、自国の要求を他国に押し付けやすくなるというイメージがありますが、実際…

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論文紹介 戦争の複雑性とマーケット・ガーデン作戦の敗因

軍事学の研究では戦争の結果は完全な予測が不可能であり、複雑性に富んだ現象であると考えます。これは戦争の結果は運次第であるという意味ではありません。個別に見ていれば、些末に思われるような出来事、例えば部隊の移動で生じたわずかな遅延や、上級部隊の情報提供で生じた下級の指揮官の事実誤認といった出来事が、ずっと後になってから極めて深刻な事態の原因となることがあるという意味で予測が困難なのです。初期の条件のわずかな変化であっても、結果に大きな変化が生じる性質のことを複雑性と呼びます。

論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

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日中戦争で中国が仕掛けた交通基盤の破壊工作にどのような効果があったか?

日中戦争(1937~1945)で中国共産党を率いた毛沢東は、日本軍の脅威に対して遊撃戦として知ら…

大英帝国の覇権を可能にした電信の歴史を語る『ヴィクトリア朝時代のインターネット』…

科学技術ジャーナリストのトム・スタンデージ(Tom Standage)は、19世紀にモールス符合を用い…

メモ なぜ中国はベトナム戦争に介入したのか?

1965年、中国は北ベトナムに戦闘支援部隊を派遣することを決定しました。当時、北ベトナムはソ…

第一次世界大戦におけるフランス軍の戦略と作戦を分析したPyrrhic Victory(2008)の紹…

第一次世界大戦(1914~1918)でフランスは西部戦線の作戦で中心的な役割を果たしました。フラ…

論文紹介 19世紀の長い平和の後で英国海軍の戦術能力が大きく低下した理由

イギリス海軍はナポレオン戦争(1804~1815)を通じて数多くの戦闘に参加し、その能力の限界に…

論文紹介 戦争のエスカレーションから抜け出せない指導者の心理を読み解く

研究者は戦争に関する意思決定過程を考えるとき、その戦争を即座に中断したとしても取り戻せない埋没費用(sunk cost)の大きさが重要であることを指摘しています。心理的アプローチで戦争の原因を考察する研究が進展したことによって認識されるようになった知見であり、例えば以下の論文は成功の見込みが乏しいにもかかわらず、指導者が戦争をエスカレートさせる理由を説明したものです。 Taliaferro, J. W. (1998). Quagmires in the periphery: