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歴史を学ぶ

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歴史に関する記事をこちらにまとめています。
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#戦闘

論文紹介 戦争の複雑性とマーケット・ガーデン作戦の敗因

軍事学の研究では戦争の結果は完全な予測が不可能であり、複雑性に富んだ現象であると考えます…

メモ 訓練と経験が部隊の戦闘力に及ぼす影響:ラ・エ・デュ・ピュイの戦闘(1944)

1944年7月3日、北フランスのノルマンディー地方に上陸し、内陸方面に向かって前進を開始したア…

第一次世界大戦におけるフランス軍の戦略と作戦を分析したPyrrhic Victory(2008)の紹…

第一次世界大戦(1914~1918)でフランスは西部戦線の作戦で中心的な役割を果たしました。フラ…

論文紹介 19世紀の長い平和の後で英国海軍の戦術能力が大きく低下した理由

イギリス海軍はナポレオン戦争(1804~1815)を通じて数多くの戦闘に参加し、その能力の限界に…

メモ 機甲師団はどのような編成で運用されるべきなのか?

1955年に主権を回復し、再軍備を開始した西ドイツは、北大西洋条約機構(NATO)の一員としてソ…

情報技術の視点で20世紀の海軍史を捉え直すNetwork-centric Warfare(2009)の紹介

ネットワーク中心の戦い(network-centric warfare)とは、遠く離れた離れた部隊を広域的な通…

クリミア戦争でロシア軍がセヴァストポリの陥落直前に試みた反撃の悲惨さ

クリミア戦争(1853~1856)で激戦が繰り広げられた戦場の一つにクリミア半島のセヴァストポリがあります。セヴァストポリは黒海に面する港湾都市であり、ロシア海軍の基地でもありました。1854年10月から1855年9月にかけて、この要塞都市に立て籠ったロシア軍の部隊に対し、イギリス軍、フランス軍、トルコ軍、サルデーニャ軍で編成された連合軍の部隊が攻囲を行いました(セヴァストポリ攻囲戦)。およそ1年にわたる激戦の末に、セヴァストポリは陥落しましたが、その直前にロシア軍は多大な犠

メモ 技術が戦闘に与える影響を適切に分析することの重要性

以前、プロイセン陸軍の参謀総長を務めたヘルムート・フォン・モルトケが、19世紀の火器の性能…

メモ クラスター弾などの無誘導爆弾だけで戦局を一変できるわけではない

クラスター弾とは、複数の子弾を内蔵し、それを目標に向けて散布できるように設計された砲弾、…

20世紀初頭の軍事学では空間と戦力の関係をどう分析していたか

軍事学史では空間と戦力の関係に関する考察が数多く書き残されています。例えば19世紀にプロイ…

メモ 19世紀の武器の発達を受けて、モルトケが縦深配備を重視した戦術的理由

プロイセン陸軍の参謀総長だったヘルムート・フォン・モルトケは、19世紀に戦闘の様相が大きく…

メモ 第一次世界大戦で米軍はどのように情報活動を合理化したのか?

軍隊の指揮官は、刻々と変わる状況を適切に判断し、適切に決定を下さなければなりません。しか…

ベトナム戦争の後で米陸軍の訓練と人事はどのように立て直されてきたのか?

ベトナム戦争に深く関与したことは、アメリカ陸軍にとって大きな損失をもたらしました。多数の…

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論文紹介 第一次世界大戦でドイツ軍はどのように偽装の技術を取り入れたのか?

1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発してから間もなく、フランスではルイ・ギノー(Louis Guingot)と、リュシアン=ヴィクトール・ギラン・ド・セヴォラ(Lucien-Victor Guirand de Scévola)という二人の画家が迷彩服という技術革新の着想を得ました。迷彩服は地面や植物などに溶け込み、使用者の体の輪郭を目立たせないようにデザインされた被服であり、戦場で敵に発見される確率を低下させる効果がありました。1915年にフランス陸軍は迷彩服の重要性