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近道をさがして遠回りするような



自分は要領が良いわけじゃないのだと気づいたのはいつだっただろう。
わたしは長いこと自分自身を要領が良いほうだと思っていたのだけれど、ひとに自分の手順を話すことが増えてから『げっそんな風にやってたの?』と驚かれることが多かったためにそれに気がついた。

人間関係や仕事や趣味を習得したり構築するとき、何かにつけて自分なりの手順がある。わたしはそういった手順において、たとえば人が3回30分で出来るところを10回2時間かけなければゴールまでたどり着けないタイプのようだった。
一方でその過程で人より努力しているんだなどと思ったことなどなく、ときに自分を要領がいいほうなのだと勘違いしたり習得の早い人たちに憧れたりしながらここまできた。

この間後輩が『わたしもいつかタケさんみたく要領良くなったりするんですかね』なんて質問するものだからついつい自分を振り返ってみたのだ。そしてわたしだって要領が良いタイプなどでなく都度それに必要な要領を得てなんとかかんとか生きてるのだと伝えてみたのだけれど、同時に側からみればわたしも要領の良いタイプに見えていたりするのだなと思った。
要領の良くないわたしが、じゃあ根気強いのかというとそんなこともない。なにをしていても割とすぐに飽きてしまうし。

そもそも要領なんて回数を経て得るものだと思っているのけれど、回数を経られるだけ没頭できるものなんてそんなに多くない。一般的に回数が少なくとも習得できてしまうことをセンスとか器用という言葉で表現するけれど、そうかと言って『不器用だから』を言い訳にしてしまいたくないという変なプライドを持ち合わせている。
つまり、不器用だけれど回数を経て絶対に成長するのでどうかお付き合い願いたいという心持ちなのだ。

だからこそ要領を得ていないわたしとなにかを共にしてくれようとした人に対して、必ずやなにか返したいという思いで過ごしている。
飽き性のわたしも他人を巻き込むことには責任感が満ち満ちる。だからこそ成長に向けた道のりをそれが長くとも継続的に歩いたり走ったり出来ていると思うし、そういった姿勢を見てときに人が助けてくれていると思う。

人生イージーに見えるあの子は裏でたくさん涙を流しているかもしれないし、なんでもスマートにこなすあの子だってたくさん泥だらけになってるかもしれない。だからズルいなんてないし、自分もズルしようなんて考えないことだ。


近道だけじゃ毎日はつまらないし、遠回りするから自分だけの近道が見つかるのだ。そういうのを楽しんで歩める大人になりたいと、わたしは思う。


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