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夏の始まりくらい自分で決めるよ



季節の変わり目になると、去年のわたしはなにを着ていたのだろうと不思議に思う。
夏服の引き出しを開けたら柄物のオンパレードだったのだけれど、こんな浮かれたお洋服は誰がどこで着るつもりなのかしら。

先日、明るい色のTシャツを着て出社したところ後輩が「あれ!アミさんまだ夏早いっすよ!」と言うので『夏のはじまりなんて自分で決めちゃうもんね』と返した。
リモートが主流になりそんな何気ないやり取りが格段に減ってしまったことについて「最近寂しいですね」だなんて言われると急にそんな気持ちになる。
わたしにとって、夏が一番センチメンタルな季節なのだ。外の空気が「はーい!夏ですよー!」といった具合に主張してくるにも関わらず自分の心がいつだって夏模様と限るわけもなく、その温度差がセンチメンタルを生む気がする。

みなさんは今年、各々の『夏のはじまり』をすでに迎えているのだろうか。
長かった梅雨が明けた日や、その年はじめてクーラーをつけた瞬間、新しいサンダルを履いた夕方、誰かが「夏だね」と言ったとき。きっとそんな風にひとの数だけ夏のはじまりがあるはずなのだ。去年のわたしの夏のはじまりは、誰とどこにいて何をしていたのだろう。

季節のはじまり同様、なにごともスタートをちゃんと感じるのってとても大切なことだと思う。そしてそのスタートラインはいつだって自分で決めるのだ。
ショーウィンドウやSNSが夏一色になろうが夏のはじまりを自分で決めていいように、結婚も恋愛も仕事も就活も "大人になる" タイミングも、はじまりはいつも自分で決めていい。
そして自分で決めたスタートをぼんやりとでも覚えていると、道中でなにかに迷ったときにスタートラインに戻ることができる。あれなんで始めようと思ったんだっけ?といったように、はじまりの瞬間の気持ちに立ち返れることって大事だと思うのだ。一方で、周囲の流れに自分のスタートを急かされてなにかがぬるっと有耶無耶にはじまってしまうなんて何だかもったいない気がする。


日々、たくさんの人の様々なスタートがある。華々しくても苦くても、何かのはじまりというのは誰しもにとって大切なものだ。だからこそどんなはじまりも自分で決めていきたいし、みんなにだって自分自身で決めてほしい。

そしてわたしが誰かのはじまりに立ち会う時にはいつだって、記憶に残る素敵なスタートにするために何かを添えてあげられたらと思う。いつか迷ったときにこのスタートを思い出して前向きな気持ちになってもらえたらよいなと思うのだ。


そんなこんなで、今年の夏もたくさんの人たちと最高なスタートをきりたい。



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