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noteに書くほどネタのない人生とは何か?

noteを毎日書いてみようかな…と薄く決意してから数週間。初めて書いた日の翌日には既に、ネタがあるときだけ書けばいっか、になっていて、そして1週間くらいすると、私って大してネタのない日々を送ってるんだな… とか思う。

あるいは、知識の蓄積がユルイから大したものはそもそも書けないのだ…とか。

しかし、平野紗季子さんのエッセイを読みつつハッとする。そうだ、書ける人というのは、道端に落ちてたスタバのカップを見ただけでも書けるのだ。(豊かな感性が爆発し、独特の言葉選びで綴られていた。脱帽)

エッセイの中には伊丹十三さんが50年前にアボカドについて、2ページも書いてるという記述がある。
(当時の日本でアボカドはありふれた食べ物ではなかったから「アボカドの味」についての共通認識的なものは全くなかっただろう)

他人の舌ではなく、自分の舌で味わった人の言葉は強いとは、なるほど。

であれば、何であれ、自分の中の月並みな情報を全て一度捨て去って向き合えば、平凡な毎日が非平凡になるのかもしれない。

………しかし、そもそも私はエッセイストを目指しているわけではなかった。

言葉や文章でコメントを求められることは多いから、そのときにもちょっと気の利いた言い回しができるよう、noteって訓練になるかな?なんて思ったのだった。

そして多分、平凡な私に求められているのは基本、平凡な言葉と、ほんのちょっとだけの、見識ある風、の言い回しなのだった。
感性の爆発じゃない… 爆発するほど持ち合わせてないけど…

凡人は凡人らしく地道にがんばろう。…ふりだしに戻る。

#平野紗季子
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