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秋が来ない

江古田のbar moja文芸杯エントリー作品です。 

もうちょい書き足すやも。。

主人公のモデルは、某店長です。




身にしみて あはれなるかな いかなりし
秋吹く風を よそに聞きけむ

秋は漢字にしてもなお「飽き」と掛けることを許されるほどに、誰かから飽きられることを恐れる気持ちは普遍のもので、千年前の女流歌人がそれを示してくれている。
ともすれば、令和を生きる何の特徴もない男である自分が飽きられてしまうのは、もはや不可避なのかもしれない。
「優しいしさ、無害だし。いい人なんだけどね。刺激がないってか、面白味がないよね」
と言われる側の人間は恋愛市場では苦戦しても結婚市場では優待を受ける、という話を信じて時を待っていたら気付くと30代半ばになっていた。
どういうことだろう。そもそも、上記の言葉を言われることすらない。人間関係はいつも、無言のフェイドアウト。
かくいう自分は自分以外のものに対し、飽きるという感覚を持ったことが自覚している限りはない。関心を持った対象は、変化をしないように見えても日々あらゆる面を見せてくれる。それがたとえ物であっても、日々の気持ちの変化に合わせて表情を変える。江古田ゆうゆうロードの脇にぶら下がっている月と星をモチーフにした微妙なキャラクターは、自分が金欠で心が逆立っている時は人相悪く見えるし、給料日には晴れやかな顔をしている。


バインミーが食べ物だと知ったのは江古田の駅前にある日止まっていた水色のキッチンカーを見た時で、名前はどこかで耳にしていたが、単なるサンドイッチだった。何かもっと新種のスイーツを想像していた。
「いらっしゃいませ」
バインミーは一応東南アジア系の食べ物のようで、店員さんの顔立ちも日本のそれとは少し違っていた。
「バインミーいかがですか。三種類の具から選べます」
話す言葉のイントネーションは完全に日本で、母国語として話していることは分かった。しかし、東南アジア要素が丁度いい具合に入っている。肌の色も、日本人の範囲内で小麦色で、目も日本人の範囲内でくりっとしていた。芸能人のローラを、もっと薄く一般人にした感じで、でも丁度いいというか、ローラよりいい。
「あ‥じゃあ、豚肉の甘辛焼きで」
昼はすでに290円のスーパーの弁当を食したというのに、反射的に答えてしまった。胃の容量は問題ないが、一個800円。昼食だけで1000円超え。無茶をした。
「ありがとうございます! 初めてのお客様ですよね。生春巻き一つサービスさせていただきます」
嬉しい心遣いだ。昼時だというのに、売れ行きが微妙なのだろうか。
「江古田には毎日来てるんですか?」
普段、買い物時に店員と会話など滅多にしないしないというのに、我ながらゲンキンである。
「いえ、曜日ごとに場所を変えていて、様子を見ていて。今は火曜日に江古田です。インスタグラムやっていて、ここに出店予定出してます」
オフィス街でもなければ若者の街でもないこの場所を火曜の出店場所に選んだのはなぜだろう。駐車の都合だろうか。はたまた近所に住んでいるのか。いずれにせよ、自分が買いに来なければ、いや買いに来ても、遅かれ早かれ江古田からは撤退してしまうだろう。それは残念だ。
「このQRコード読み取るとインスタ見れます。よかったらご覧ください」
虹色の名刺を一緒に渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「またよかったらぜひ!」
シェアハウスに戻るまでの間にバインミーを開封し頬張ってみた。甘辛い味付けは、まだ気温が30度を上回る外気と相まってどことなく異国の風味で、しょうゆと砂糖以外の何を入れるとこうなるのだろう。

「雷神さん、お米買ってきてください」
17時少し過ぎた頃に店へ顔を出すと、今日の店長がいつものように自分をこき使う。
「あー、もうなかったですかね」
店の備品はすぐになくなる。そこまで細やかな感性を持っていないため、店の備品チェックは得意ではない。
毎月第二、第四火曜日の夕方に店長をしてくれているこの人、とんでるさんは自分とは違い細かいところに目が行き届くので、毎回備品の不足を、少々の不満を込めて報告される。
備品の確認は見逃しがちだけれど、人の変化には男の平均よりは、気付きやすいと思う。
「よろしくお願いしますね」
その声はいつもより少し、機嫌の良さを含んでいる。
「今日は何を作るんですか」
「うーんと最近焼き鳥缶にハマってて。それを使って丼ものを作ろうかと」
「へー焼き鳥缶。誰か今日、来店連絡ありましたか」
その後の、スマホの画面を見る仕草になんらかの気づきを得た。
「ええと。マルさんかな。さっきリプ来てた」

スマホの画面を見なくても、マルさんが来ることはちゃんと覚えていたのだと思う。

また変化の瞬間を見てしまった。
いつまで変わらずにいられるかな、という期待と、どこかで変化する瞬間を見たい、という期待と、相反するものがいつも一緒にある。
月に二回、彼女が店を守る時、たいてい終電を逃して店に夜が明けるまでいて、自分たちは男女のそれとは別次元の、人生とは何かに近い、生とか死とか、そういう話しをするのだけれど、この絶妙な均衡を彼女がどのように捉えているのか、十中八九、なんとも思っていないだろうし、思っていなくて構わないし、でも思っていたら、と想像してしまう瞬間が自分の中で消せなくて、でもまたきっと、自分ではない誰かに、見たことのない表情を見せるのだとも冷静に予想している。

裏切られたくない不安、裏切られたい好奇心。自分はとんでもない矛盾の中で生きている。

それでも、いいのだと思っている。

四十分後にマルさんが来店し、彼がトイレに行っている間に自分は席を外した。日が落ちてもなお蒸し暑さの残る商店街を歩きながら、他の店の客入りをなんとなく眺めていた。


二週間前まで寝ている間に寝汗をかいていたはずなのに、今日は起きたら毛布をかけていなければ身震いをしてしまうくらいで、派手な寝相のせいでむき出しだった足の先が冷たく、物置からヒーターを出してしまった。季節が一つ、すっかり抜け落ちてしまったらしい。
あの後バインミーのキッチンカーはなんだかんだ毎週通い、すべての種類とトッピング、サイドメニューを試した。数分の、数往復の会話は、楽しむためというより、会話という現象のための会話だった。
自分がメニューを全制覇した頃、ついにキッチンカーは江古田へ来なくなった。週に何度か習慣で見ていたインスタの記事に、火曜は六本木に出店することになったと記載があった。ゴールデンタイムのテレビ番組において、貧乏な女性が工夫して自営業をしている特集の中で彼女が紹介されたのだ。テレビ効果はすさまじい。放送と同時に瞬く間に彼女のアカウントのフォロワーが増え、出店場所を大都市に変える運びとなったようだ。ましてやあのルックスである。スポンサーが付いたのかもしれない。

あっという間に遠くへ行ってしまった。

しかしそれは彼女にとっては良いことだ。
自分の身の回りに起きるあらゆることは、全て、変わらなくても、変わる可能性を秘めているからずっと見ていられるわけで、本当に変わってしまって自分の元を離れていっても、少しの間自分の意識の中にあってくれたことを、忘れない。
そんなふうにある意味で、楽しめてしまっている。痛みや悲しみにあたるもの、落胆や失意にあたるものを、うまく感じ取れていないようにも思える。

人生において秋という季節を、踏み飛ばしているのかもしれない。

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