おかしな人々

人間の営み

人間の営みと社会生活の間には乖離がある。
その乖離を埋めている存在がペルソナになる。

ある職域には、ある『型』ができる。

僕は『型』を人間にあてはめるのではなく、人間にあわせて、仕事をアレンジすればよいと思う。
どうして、無理やり『型』にはめるのか。
もちろん『枠』は必要だ。自由に動き回れるための『枠』があり、
その中を動く。外にでるときは、一応、声をかけてからでる。

なぜ、紐をつけて、『型』にはめる必要があるのか。

僕には意味がわからない。

創り方の問題。


努力しないでうまくいく方法がある。
これは楽しみながらやることだ。

他人に勝手に触った結果

罪を犯して、刑務所で矯正プログラムを受ける。
これは社会の中で決められていることだ。
これを『枠』という。型やぶりはOKだが、
『枠』を抜けるではなく、壊していく人には要注意だ。
他人の人生に介入してよい人間は、
その人が認めた人だけである。
それ以外の人間が介入することは、許されない。

人生は長く楽しい道のり

半世紀近く生きている。
このような文章を書くこともある。
最近の人間には呆れている。そして日本人には絶望している。
これから何十年もかけて、つくりなおしていくのだろう。

人生は山あり、谷ありで、プラスマイナスがゼロになるように作られている。これは社会生活ということではなくて、人間としての営みがそうできている。社会生活については、プログラムしている人間の質によるから、なるべく生きやすい環境に移動していくことは本人のできる最大限の努力になるだろう。

人間に対しての絶望

現在の東京では、この感情を多数感じる。
生活や社会に対してではなく、人間そのものに対しての絶望である。
つくりなおすためには、大地震でも起こして、
首都壊滅から新たな線引きをしていくほかない。
本当に本当に深い絶望に包まれている。

救済についての考え

これはひとりひとりが日々のとりくみをしていく。
本来は多くの人を救う活動に移行していかなくてはならないが、
絶望が深すぎて、おそらく、動くことができない。

人間はどう生きるべきか?

そのことを真剣にとりくむことで、解決してくる課題は多々ある。
僕は困った場所や困った人の話を聞き、
どうやったら、改善できるのか、提案して実行していくことが大好きだ。
困っている人は、変えられること、辞められること、
他のことができることを知らない。
あるいは耐えることが美学になっている。
僕が思うに、それは不必要な感情になる。
社会の歯車はとくに必要なくて、
たとえば、ごみ回収の仕事がある。それぞれがゴミ処理場まで捨てにいくなり、お金ある人は有料でとりにきてもらえばいい。それが行政サービスで回収事業を行っている。ここまでいい。しかし、かなり賃金が安い。
これではダメだ。介護職も市民生活を豊かにする大切な仕事だ。
しかし、賃金が安い。完全に人間を舐めている。
公的な職業(自衛官、警官、介護、医療、清掃など)は現在の3倍の賃金をめざして、まずは大至急2倍にしていく必要がある。

(というか、なぜ、それをしないのか、不思議でならない)

エッセンシャルワーカーのストレスが削減するだけで
街の不機嫌はだいぶ修正されていく。
お金が市場にまわることで、経済の循環も生まれていく。

この国の政府には期待していない

もう国民の多くはこの国の現体制に期待はしていない。
とにかく新しい体制を構築することが急務である。
わかっている人間、まだ目覚めていない人間。
それぞれの立場があるが、公的機関に携わる人間の報酬は3倍にすべきだ。
さらに民間への支援も給付金というカタチで行うことが必要だ。
災害時に、あの手この手をつかう。
今の日本経済は災害級の停滞をしている。
常に経済は緊急時の対応が求められている。

#創作大賞2024 #エッセイ部門


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