中間報告 〜 博士課程一年目を終えて

(この記事は 2020年5月2日 に執筆したものです)

2020年 4月に博士課程の二年生となりました。コロナウィルス感染拡大の先行きが見えない状況の中で、一年目の振り返りと今の思いを綴っておこうと思います。

学振の特別研究員(DC2)に採用されました

4月から日本学術振興会の 特別研究員(DC2) に採用されました。この先の2年間、研究目的達成のために毎月20万円の研究奨励金が支払われます。

進学時点では特別研究員を志願する意思はありませんでしたが、やはり研究と仕事の両立は難しく、研究にフォーカスする上では採用された方が良いと考えを改め、申請することにしました。

噂にも聞いていた通り書類の準備はめちゃくちゃ大変で、面接も含めると期間が 9 ヶ月と長く精神的にもタフでしたが、その準備を通して今後の研究の方向性を見定めることができたのはとても意味のあることでした。

書類・面接の準備にあたっては、みのんさんの記事から大いに学ばせて頂きました。この先応募を検討されている方はご参考にされると良いと思います。

面接については湯淺さんの記事も参考にさせて頂きました。数学が専門の方にとってはとても参考になるレポートだと思います。

共著論文を公開しました

同研究室の佐藤光樹さんとの共同研究を完成させ、論文を arXiv に公開しました。

主結果は「ある結び目不変量の計算アルゴリズムの存在を証明し、プログラムを開発して 11 交点以下の全ての結び目に対してその値を決定した」というものです。

計算アルゴリズムができても具体例での計算量は凄まじく、研究開始当初は目標の達成は不可能に思えました。計算のボトルネックとなっている部分を、理論と実装の両側からのアプローチによって一つ一つ突破し、最終的には目標としていた対象について計算を完遂させることができました。

8 ヶ月に及ぶこの共同研究は、佐藤さんが作り上げてきた理論と僕が培ってきたプログラミング能力のコラボレーションによって進み、たくさんの壁にぶつかりながらも二人で論文を完成させることができたのは実に感慨深いものでした。

初論文が論文誌にアクセプトされました

昨年の 4 月に、修士論文を元にして書いた論文を論文誌に投稿しました。それが約一年間の査読期間を経て、今年の 3 月にようやくアクセプトされました。初めて書いた論文の初めてのアクセプトだったので、メールを受け取ったときはめちゃくちゃ嬉しかったです。

今回、査読を受けるという経験を初めてしました。僕は査読とは匿名のレビュアーから論文を審査されるプロセスだと認識していたのですが、僕が受けた査読は建設的なコメントや改善のためのアドバイスを多く寄せて頂き、とてもありがたいものでした。

指導教員曰く、「ここまで丁寧なレビューはなかなかありません、きっと初めての論文投稿だと分かって丁寧にアドバイスをくれたのだろう」と。研究とはこのような善意の上に成り立っているものなのだと知ることができました。

育児について

修士課程に進学した時点では 1 歳だった娘も今や 5 歳になり、めきめきと女の子として育っています。

昨年の 8 月に、保育園から幼稚園に転園しました。

前に通っていた保育園では、クラスに極端に女子が少ないこともあって娘はあまり馴染めていなかったのですが、幼稚園に移ってからは、女の子の友達もたくさんできて自由に遊んだりできるようになったようです。

保育園では毎朝登園前にグズっていたのが、幼稚園では走って登園するようになり、本当に転園してよかったと感じています。保育園に比べてお迎えの時間が早かったり、弁当を作らなければいけなかったりといった負担はありますが、親の心理的負担は格段に減りました。

コロナウィルス感染拡大の中で

特別研究員にも採用され、論文もアクセプトされ、子供のことも落ち着いて、「これでやっとのびのびと研究ができるだろう」と二ヶ月前は大きく期待を膨らませていました。

しかし2月、3月と日が経つにつれコロナウィルス感染拡大に関する緊張感は高まっていき、ついに 4 月の緊急事態宣言を受けて幼稚園は事実上の閉園となってしまいました。僕たちの日々の生活も大きく変えざるを得なくなりました。

現在は自宅でリモートワークの妻と分担して子供の面倒を見ていますが、仕事(研究)と子守は両立できるものではありません。

数学者オイラーは、赤ん坊を膝にのせ、上の子供たちをまわりに遊ばせながら大量の論文を書いていたそうで、僕も数学徒の端くれとしてそれを真似してみようと試みましたが、やはり全然集中できないし、子供は遊んでくれない悲しみに泣きながらふて寝してしまう始末でした。

こんな状況の中で、子供に我慢をさせてまで僕が数学をやる意義って何なのだろうと落ち込みました。

そんなときに、僕の指導教員であり、数理科学研究科の専攻長(当時)である古田幹雄先生が書かれた文章を読んで大変心を打たれました。これは挙行することができなかった学位記授与式に代えて、修士・博士課程の修了生に贈った祝辞です。

最後の部分を引用します:

皆さんに、これから先のことについて、二つだけ、少しばかり歳を経た者からの個人的なお願いを述べさせてください。

第一に、皆さんが身に着けた専門性は、他の専門性と協力しあうことによって初めて十全に発揮されるものだと思います。どうかさらに広い心をもってお進みくださることをお祈りいたします。

第二に、どうか、まっすぐものを見る目を忘れないでいてくださればと強く思います。それは人によっては「夢」といってもいいかもしれないし、あるいは人によっては数学を楽しいと感じる「初心」といっていいものかもしれません。

決して明るくはないかもしれない時代に皆さんが確固としてご自分の足で立つために。

祝辞・令和元年度大学院数理科学研究科修了生の皆さんへ

この「夢」「初心」こそが、僕が数学に憧れた理由だったと思い出すことができました。

今はまだ、この状況に適応するのに精一杯な状態ですが、当面は家族の心身の健康を最優先にして、ペースを落としながらでも着実に研究・勉強を進めることを目標にしようと思います。

これを読んで下さっている方々も、それぞれ色々なご苦労があることと思います。
どうかお体に気をつけて、この苦しい時を共に乗り越えて行きましょう。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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