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博士課程に進学しました

(この記事は 2019年4月26日 に執筆したものです)

2019年3月に 東京大学大学院 数理科学研究科 修士課程を修了し、4月から 同研究科の博士課程 に進学しました。

修士論文を書き上げるまで

僕は3年前の2016年に、数理科学研究科の修士課程に進学しました。現在34歳で一児の父です。大学院進学の前はソフトウェアエンジニアとして働いていました。

入学後はずっと学力不足を埋めるのに必死でした。勉強と育児との両立も上手くいかず「時間が足りない…」と常に焦燥感に苛まされていました。一年半経過した辺りでこのままでは修論を書くことはできないと悟り、在学期間を一年延長する決断をしました。

在学期間を延ばすことにしてからはある程度落ちついて勉強に取り組むことができるようになりましたが、修士論文の研究テーマは決まらないままでした。元々プログラマをやっていたので、コンピュータが使えることが強みになるような「何か」を見つけたいと思っていましたが、それが見つけられずにいました。

2018年の年明けに、指導教員の先生から「結び目の Khovanov ホモロジー」というものがあると聞きました。調べてみると僕が趣味で作っていたプログラムに少し手を加えればこの計算もできそうだと分かりました。早速実装して、条件を変えたりしながら色々な例で実験してみる中で、不思議な規則性が目に留まりました。これを詳しく調べるところから僕の研究は始まりました。

同時期にもう一つ奇跡のような幸運に恵まれました。Twitter で「新米数学者」と名乗るの方と仲良くなり、オンラインでやりとりをする中で実際に会ってみたいと思って連絡を取ってみました。すると偶然にも、その方は4月から僕が所属している研究室にポスドクとして来られるというのです。

彼の専門は結び目理論でした。3月から毎週僕のゼミに参加して下さり、結び目理論について何も知らない僕に色々と教えてくれて、研究に関しても多くの時間を割いて一緒に議論をしてくれました。

研究テーマが決まり、頼りになる先輩とも出会えたことで研究が一気に進み、夏頃には一つ目の主定理が得られました。秋頃にはもう一つ困難を突破することができ、系としていくつか良い結果も得られました。年末には論文のドラフトが出来上がり、結び目理論に関する研究集会でその結果を発表することもできました。

2019年に入り、1月末に修士論文を提出し、2月に論文審査を受け、3月に晴れて修了できる運びとなりました。

修士論文は「研究科長賞」を頂くことができました。この3年間、僕はずっと「遅れを取っている」という感覚があったので、受賞によってはじめて「何かはやれたらしい」という達成感を得ることができました。家族に対しても分かりやすい結果を見せることができて良かったです。

4月からは論文誌への掲載を目指して論文を練り直しており、まさに今朝、論文を投稿したところです。掲載されるまでには査読を受けて受理される必要がありますが、ひとまずは投稿が済んでやっと肩の荷が下ろせたような気持ちです。

こちらが論文のプレプリントです。

3年間を振り返って

3年間を振り返って、熱心に指導して下さった先生、一緒に議論してくれた先輩方、Twitter でいつも仲良くしてくれる皆さん、僕を信頼しサポートしてくれる家族に、深い感謝を感じています。

修士課程2年目の秋頃、まだ研究テーマも決まっていない頃に、先輩数学者であり「インテジャーズ」の著者であるせきゅーんさんとお会いをする機会がありました。そのとき、せきゅーんさんはご自身が博士論文を書いたときのことを振り返りながら、 「たとえ数学的には ε でも、自分で見つけた定理には格別の思い入れがある」と熱く語ってくれました。 (注:ε イプシロン は数学で小さな量を表すのによく使われます)

そのときは「僕もそんな風に修論が書けたらいいなぁ」と憧れを抱くだけでしたが、その気持ちが少し分かったような気がします。定理を証明できた瞬間の喜びや、40ページの論文の厚みに対する感慨は、他の何物にも替えられません。

僕の人生の中で「数学の論文を書く」という経験ができて、本当によかったと感じています。

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(論文主定理を証明できた瞬間)

D進を決意した理由

博士課程への進学については、修士課程進学時からそうしようと決めていた訳ではありませんでした。最終的に決意したのは昨年末、論文を arXiv にアップロードして研究集会での発表を終えたときのことでした。決意に至った理由は以下の通りです:

・ 3年やってひとまず満足するかなとも思ったが、論文の結果はまだ拡張できる気がするし、まだまだ見えないものを見えるようになりたい。
・ 数学の重要性が再認識されている世の流れの中で、この先どう生きるにせよ博士号の取得は確実に有利になるだろうと思った。
・ 妻が「はじめは大変だったけど、今は会社員だった頃よりも育児にも参加してくれているし、結果的には学生になってくれて良かった」と認めてくれた。

学業と育児の両立

学業と育児の両立は本当に大変です。この3年間の苦労は、大学の受験勉強の苦労や、会社員時代の苦労とは比にならないものでした。数学科の大学院生に求められる学業に対する姿勢とは次のようなものです:

朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ。

数学は体力だ!」より

これは幼い子供がいる場合は不可能です。育児は仕事と違って「期間を区切ってまとめてやる」ということはできないので、学業に没頭することは諦めざるを得ません。しかし自ら望んで授かった子供の存在を「不利なこと」と考えてしまうのは不幸なことです。そもそも子供ができたからこそ自分の人生を見つめ直し、もう一度数学をやろうと決められたのでした。だから、 

「数学も家庭もどちらも大切。この二つを両立することの苦労も含めて、今は多くのことを学んでいるのだ」

と自分で納得することにしました。

「学び直し」を検討している方へ

ここまで読んで下さっている方の中には、学び直しを検討している社会人の方や、一度就職してから再び研究の道に戻ることも視野に入れている学生の方もいるのではないかと思います。そういう方々にとって僕の経験が参考になればと思うのですが、経済的な状況、生活や家庭の環境、選考分野、仕事との両立可能性など、人それぞれ状況は異なるなので「こうすれば上手くいく」というようなアドバイスはできません。

代わりに、まず受験時の僕の状況を書いた上で、僕自身が気をつけていたこと、これをやっていて良かったと思うこと、こうすべきだったと後悔していることを、あえて区別せずに列挙してみます。

僕の状況

・ 妻と子供の三人暮らし
・ 進学前は夫婦共にフルタイムの会社員
・ 子供は保育園に通っている
・ 夫婦の実家は共に都内
・ 学業への理解は両家庭ともにある
・ 少なくとも3年無給でやっていけるだけの貯金はあった

入学前

・ 大学院を受ける前に研究室を色々と調べ、教員や学生に話を聞きに行こう
・ 配偶者や親族とは十分にコミュニケーションを取った上で受験に臨もう
・ ちゃんと資金計画を立てよう(在学期間が所定年数を超える可能性も考慮しよう)
・ 指導教員には家庭の状況や時間的制約などをしっかり共有しておこう

入学後

・ 指導教官とは定期的に顔を合わせ、困っていることなどは共有しておこう
・ 学力不足は誤魔化さず、必要に応じて学部生向けの講義に出るなりして、ちゃんとキャッチアップしよう
・ 若い学生から年齢や社会人経験を根拠に特別な敬意を払ってもらおうとするのはやめよう(誰に対しても「敬語・さん付け」でいくのが無難)
・ プレッシャーに押しつぶされないように、自尊心を回復できる場が大学の外にあると良い
・ 子供が風邪を引いたりインフルエンザにかかるなど、自分でコントロールできない要因で研究が中断させられることがあることを意識して論文は早めに完成させよう

こんなところでしょうか。皆さんの状況と照らし合わせて、参考にして頂ければと思います。

学術系クラウドファンディングをはじめました

上で学業と育児の両立について書きましたが、家計を成り立たせるのもまた切実な問題です。今や社会人大学院生の方も増えてきているようですが、仕事と学業を両立させる上での最大の難点は 拘束時間コンテキストスイッチの心的負担 です。

僕はマルチタスクが得意ではなく、特に数学は深い集中状態の中でないと取り組むことができないため、仕事との両立については初めから諦めていました。しかしもう 3年間無給で学生をやるのは家計的に厳しい。

そんなとき、ある方が academist という 学術系クラウドファンディングサービス があると教えてくれました。研究者や大学院生を経済的に支援することに特化したクラウドファンディングサービスです。

運営者の方と面談の上、早速ファンクラブ(月額制クラウドファンディング)を立ち上げることにしました。現在は 44名もの方からご支援を頂いており、経済的にも精神的にもかなり助かっています。

社会人の方で大学/大学院に戻って専門知識を身に付けたいと考えている方は増えているようですが、生活に必要な収入学業に必要な時間のトレードオフは重大な問題です。学術系クラウドファンディングがもっと活発になれば、この困難を突破するための新しい道の一つになるのではないかと夢を感じています。

僕のこの先のチャレンジを応援して下さる場合は、下記リンクからご支援を頂けたら嬉しいです。月300円からのご支援で、毎月研究報告をお送りさせて頂きます。また論文やブログ記事の謝辞と共に、サポーターの皆さんの名前(ユーザ名)を記載したページへのリンクを記載させて頂きます。


最後までお読み頂きありがとうございました。 
博士号取得に向けて頑張ります!

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昨年末に 学部・院生のための研究キャリア発見マガジン incu・be さんからインタビューを受け、大学院進学から研究までの経緯をまとめて頂きました。

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