感想:『ラストパス』(著:中村憲剛)

 川崎フロンターレのバンディエラ、中村憲剛選手を描いたドキュメンタリー本。最晩年の35歳から、40歳で引退するまでの最後のサッカー人生を描いている。
 
 そう書くと、サッカーファン、引いては川崎フロンターレの熱狂的なファン向けの本のように響く。
 だが、読んだ感想はやや異なる。なにより、私自身がJリーグはハイライト程度しか見ない。それでも、色々と感じることがあった。

 まず、この本は、プロサッカー選手という父・夫を抱えた、ひとつの家族の物語だということ。
 この本の冒頭は、中村憲剛の妻、加奈子さんの入院から始まる。この時点で、サッカー本としては、やや異例だろう。
 第三子を妊娠していた彼女は、前置胎盤という危険な状態にある、という。それを聞いた中村憲剛は「妻の命か、子供の命かどちらかを家族で判断してほしい」と医師に言われる。

 「どちらかを選べなんて、そんなの選べるわけないだろっ!」
 心のなかで、そう叫んでいた。
 人の命に関わる決断を、自分一人ですることなんてできるわけない。そう思った。

 だが、この話を聞いた加奈子さんは、自ら違う医師を探し出す決意をする。そこに中村憲剛は、母としての逞しさと、人間としての強さを見る。

 ここでも描かれる妻の強さと、中村憲剛の弱さという話は、この物語の中で何度も描かれる。
 この本を読んで改めて感じたけれども、プロのスポーツ選手というのは、とても安定性の低いストレスのかかる職業だ。重要な試合での敗北、チーム自体の不調、本人のポジション争いに、怪我。
 そうした不調に対し、中村選手が精神が乱れる様子が本の中では何度も繰り返し書かれる。家庭内で子供に心配をかける様子さえ書かれる。「ここまで書いていいんだ」と、そのオープンさにやや驚く。

 それを支えるのが、妻だ。
 だが、単にやさしく慰めるという訳ではない。時には、叱咤激励をすることもある。元々、中央大学サッカー部の主将とマネージャーという関係だったのもあるだろう。本書に書かれている通り、「メンタルトレーナー」のような強さがある。
 この物語の最後は、引退した中村憲剛選手が、家に戻ったシーンで終わる。そこでの妻とのやりとりが、胸を打つ。その強さの裏側にあった、とてもシンプルな思い。詳細はあえて書かないけれども、この場面を読むだけでもこの本を読む価値は十二分にあると思う。

 家族というのは、様々な形がある。
 そして、プロ選手とその家族というのは、他にはない絆があるのだと思わされる。

 もう一点、興味深かった点を。
 この本では繰り返し、「チームとしての強さはどうやって生まれるのか?」というテーマが書かれる。それは14年優勝経験のない「シルバーコレクター」として過ごした中村憲剛選手が考え抜き、ついに勝利を手にした果てに見出した一握りの真理なのだろう。含蓄のある言葉が並ぶ。
 2つ、抜き書きをする。

 優勝したことで変わったメンタリティーは、日々のトレーニングにおいても当てはまれば、キャンプの過ごし方ひとつとってもいえることだった。
 (略)自分たちが何をして、どこまでやればいいかが見えるようになった。今までは、優勝するために必要な突き詰めるべき”地点”が見えなかったが、タイトルを獲ったことで、その”地点”を知ることが出来た。あとは、いかに自分たちが、その”地点”を超えることができるか

 (優勝を)獲った今だから分かる。それまでとそのあとの、何が違うと問われれば、勝負に対する詰めが甘かったという結論に到達する。
 当たり前だが、どのチームも勝利のために全てを捧げている。プロの世界では、そういうチーム同士で対戦する。だからこそ、先に隙を見せたり、先に崩れたりすれば、相手に付け入る余地を与えてしまう。隙を見せた所から崩れて行けば、崩れた所から負けていく。サッカーはその戦いでもあった。

 他のスポーツを見ても、一度優勝すると一気に連覇するチームが生まれることはある。
 例えば、NBAで言えば、ゴールデンステート・ウォーリアーズは、14-15シーズンで優勝したことをきっかけに、その後21-22シーズンまでに4回の優勝を果たす常勝チームに生まれ変わった。

 よく「勝者のメンタリティー」というが、それはこう言ったことを指しているのだと思う。勝ち方を知っている。かつ、ハードワークやしたたかさを含めて勝負に拘れる。そして、負けても崩れないこと。
 この辺りは、普段の生活や仕事についても通じる話だろう。反省を込めてそう思う。

 ――ということで、スポーツの熱さあり、苦悩あり、家族の絆あり、と、非常に濃厚な読書体験でした。
 川崎フロンターレのファン、サッカーファン以外にもおすすめ出来る一冊ですので、秋の読書にどうぞ。


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