「基準」を軸にしたリーダーシップ

アオアシの30巻、そして中村憲剛選手の本を読んでいて、「基準を示して浸透させる」というスタイルのリーダーシップがあるなぁ、と改めて思った。

川崎フロンターレに前監督の風間八宏氏が就任したエピソードは、様々な箇所で語られている。
「ボールを止める」という技術に徹底的にこだわること。そして、逆に言えばプロの選手ですら、風間監督からすれば「止まっていない」と見えること。それをチームに広げていった。
当時の中村憲剛選手は、既に日本代表を経験し30才を超えたベテランだった。テクニシャンとしても知られていた。だが、その風間監督の指摘を受け、意識が大きく変わったという。そして、そこからさらにサッカーが上手くなった、と語る。
そこからの中村選手は、「ボールを止める」という基礎技術に徹底的にこだわる姿をチームの中に広めているように見える。若手との会話でもその話をしているし、高校生への指導でもその話をしていたようだ。

リーダーシップとして抽象化する場合、ポイントは二つあると思う。
まずは、重要なスキル・アクションについて、求めるレベル感を示すことが重要だ、ということ。
そして、それは出来るだけ明確に示された方が良い。語られている言葉は例えば「攻撃的なサッカー」のような抽象的なことではなく、「ボールを止める」という非常に具体的なことだ。だが、ボールが綺麗に止まり、顔を上げたまま次のプレーに繋げられることで、ディフェンダーを見て動ける、ディフェンダーを牽制できる、相手が寄せるまでの時間ができる、といった攻撃的なプレーに必要な要素が増えていく。
そして、それが指導可能なことだ。あるべき姿を示すことで、自分の足りなさがわかる。それを教えられる人材がいることで再現性が生まれる。「ボールを止められる」人が増えることで、チームとしての武器になり、それが文化にまで育っていく。
その第一歩は、再現性だろう。教えられた側が、少なくとも技術を上げ続けられること。指導者ほど出来なくても良いが、際立った能力として差別化出来るぐらいには強いこと。
恐らく、次はカルチャーだ。その強みをチームとして追求しメンバーに求め合うのが、当たり前になっていること。そうなれば、起点となる指導者がいなくなっても、その武器はチームに残る。
それが出来なければ異能は個人で止まる。チームの強みにはならない。

重要かつ様々なことに波及する具体的な能力に基準を設ける。
そして、その基準がチームの強みになるよう再現性のある指導が行えている。
振り返ってみると、良い上司はそういうことが出来ている。良い講師もそうだろう。そういうことができるようになりたい、とも思う。

最近思うけど、ポータブルスキルと呼ばれる一般的なビジネスの能力や、チームメンバー全員が備えておくべき知識などについては、こうした基準と再現性のある教育が準備されるべきなんじゃないかと思う。
それをしないでメンバーが育たないと言っても、「まだやれることあるよね?」と反論されうる。「伸び代」は残っている。
とは言え、「プロ意識と成長意欲があるメンバーについては」「教育プログラム作れる能力と時間があれば」という留保はつくだろうけど。あとは、外部研修もうまく使っていくのかな。

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