メモ書きから始めていいと思ったら、文が気楽に書けるようになった話
すこし前まで文がなかなか書けずに悩んでいたのですが、あるnoteを読んでとても気楽に書けるようになった話をします。
私にとって文章を書くことは、ささやかな趣味で、義務でも仕事でもないのに、たまにちっとも書けなくなる。
そんなとき、たまたまTwitterで流れてきたこちらのnoteを読みました。
汚く作ってもいいんだ!!と目の前で水風船がはじけたような気持ちでした。
私は、文章を絵に例えるなら、下書き無しの一発書きで書くものだと思いこんでいました。
さらっと書いて、まとめまでばっちり。ごくごく稀にそんな風に書けた日のことを通常のコンディションだと思い込んでいた。大抵は、書いて直してを繰り返してるのに。
また、家を出るまであと30分あったとして、ぽっかり空いたその時間にほんの少しだけ、書いてみることが出来なかった。文を書くのはたっぷりとした塊の時間があるときに、ギュッと集中して書くものだと思っていました。
文章も、下書きをしていい。
不恰好なところを削ったり、足したりすることを今まで、なんとなく下手くそで情けないことだと思っていました。
居残りをして課題を必死に片付けてるような、途方にくれたような気持ち。
でも、ざっくりした、鉛筆の下書き絵みたいな草稿を書くのは普通のことで、そこから削ったり整えたりするのは、テキストを仕上げるプロセスとしてごく当たり前のことでした。
ほんの15分や30分。メモみたいな散文をちょっと残しておいて、気がむいたときに、のんびり磨いていく作業は楽しい。手を付けるハードルが下がると、疲れて何も出来なそうなときでも、少しなら書くことができます。眠る前にほんの10分。朝起きて5分。ずっと、こういう書き方がしてみたかった。
ブルーナさんだって、ミッフィーを一発描きしない。
以前、ブルーナ展でミッフィーが描かれるまでのメイキングをみたことを思い出しました。
何重もの細い鉛筆線で形をとり、それをトレーシングペーパーで慎重に写し、ロットリングで清書される過程は、なんだかとても人間味がありました。
ひゅるひゅるっと、機械のようによどみなく、一本線がひかれるものと思い込んでいた想像の中のメイキングとは、まったく違っていた。でも、ミッフィーの一番かわいい丸みを探す何本もの迷い線に、とてつもない愛を感じました。
あこがれのブルーナさんだって、線に迷うし、下書きを引くし、ロットリングがはみ出たら、ホワイトで修正する。そうやって完成させてると思うと、とても勇気が出ました。
文章も同じで、もしかすると天井人の作家さんも、書きはじめから一発で美文を紡いでるわけではなくて、ガサガサの下書きから綺麗な言葉を探してるのかもしれない。そんなことは無いかもしれないけど、そう思うことでちょっとだけ、勇気が出ます。
これからは気楽に、雑な下書き未満のメモをどんどん書きたい。そんなふうにしたら、もっとたくさん書けるかもしれない。そう思うとちょっと楽しみになってきました。
私はそんなふうにnoteを続けてみようとおもいます。
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