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秋になったら、こんなふうに読みたかった。

秋が来たと思うとうれしくてたまらない。外を歩きながら、淡い金木犀の匂いを掃除機みたいに吸い込みたくなる。

夏のあいだ、ずっと読書がはかどらなかった。何をしていても、体のどこかがうっすら汗ばんできて、じっくり文字を追う気分になれなかった。

秋になったら、鍋で煮出した牛乳たっぷりの紅茶をいれて、ビスケットをかじりながらゆっくり本を読みたいと思っていた。

いまそれが出来ることがとてもうれしい。想像の通りに鍋に牛乳をいれて、弱火でゆっくり温めたら、紅茶のティーバッグをいれて淡い茶色になるまでクツクツ煮出す。よい頃合いに火からおろして、ふうふう、たっぷり飲みながら本を読んでいる。

ルシア・ベルリンの短編集は、捉えようと手を伸ばすと、すり抜けていくような决して捕まえられない彼女だけの日常と、自分もそこで確かに体験したような、既知の感情が何度も揺らいでは交錯する。

文体には湿ったところがどこにもなく、冷たいざらざらの麻のシーツみたいで気持ちがいい。全く笑えないヘビーなことも、当たり前の日常も、泣きたくなるような思い出も、並列に温度差なく書かれる文体がとてもいい。

「どうにもならない」という短い話が好きだ。アルコール中毒の主人公が、早朝、徒歩で酒を買いに行って帰ってくるだけの話。だけど悲壮感がどこにもなくて、なんだか楽しそうですらある。どん底の中での一瞬の優しい交流も描かれる。早朝、布団のなかで何度も読んだ。

そういえば、はてなブログがはてなダイアリーだった頃、新しいだれかの日記を見つけると嬉しかった。金脈をみつけるように、好みの文体を見つけると、ガラケーでどこまでも日にちを遡って、どこかにいる誰かの日々を読書するように読んでいた。富士日記を本棚から取り出して読むのと一緒だった。

都会の美しいパン、知らない音楽、素敵な展示、その中にか細い鬱屈や、分からないように書かれた秘密の片鱗がたまに見えた。私は田舎の空、コンビニ片道1時間の道、仲良くなった近所の牛たちとのありきたりの生活を書いた。

この本を読んでいると、誰かの日記をむさぼり読んでいた日々を思い出す。書かずにはいられないようでいて、自分から一定の距離を取るような書きかたがとても好きだった。

ねこの毛はどんどん伸びはじめていて、短毛種なりのふかふかコートを作る準備をしている。わたしも自動的にあったかい秋冬物が、体から生えてきたらいいのにと思いながら、本を読みながら撫でている。

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