心臓病を持って生まれた子供が医師になるまでの話

最初の記事なので自己紹介も兼ねて生い立ちを振り返ってみます。

私は幼稚園の頃、健診で心雑音を指摘されました。
病院での検査の結果「僧帽弁閉鎖不全症」という心臓病があることが発覚しました。

心臓は4つの部屋に区切られており、それぞれの部屋の出口のところに「弁」という血液逆流防止装置がついています。
僧帽弁は心臓の中で一番大きな弁で、左心房と左心室の間にあります。

私の場合生まれつきこの僧帽弁の形が異常で、きちんと弁が閉じないことで左心室から左心房へ血液の逆流が起こっている状態でした。

病気についての詳しい説明は割愛するとして、とにかくこの病気が体の成長とともに悪化していき、時は流れ17歳 高校生二年生の時
手術が必要だと言われました。
かかりつけだった小児科の先生から、弁膜症の心臓外科医の先生を紹介していただくことになりました。

当初想定されていた手術の術式は、「弁置換術」というものです。
これは私の僧帽弁のかわりに人工の弁を装着することで、逆流をなくすといった術式です。

ただし、人工弁を装着するということは体内、ましてや心臓の中に異物がある状態になるわけです。この異物に血液が触れて凝固を起こさないように、
「抗凝固剤」という血液がサラサラになる薬を生涯にわたって飲み続ける必要があります(厳密には人工弁の種類によって必ずしも生涯にわたって抗凝固薬を飲む必要はない場合がありますがここでは割愛)。
抗凝固剤を飲んでいると、何らかの出血が起きた時に血が非常に止まりにくくなるデメリットがあります。

そしてそもそも人工弁が劣化した場合は再手術になるわけですが、一度手術すると周辺の組織が癒着を起こすため、二度目に同じ場所の手術をするとき非常にリスクがあるのです。

そしてなんといっても心臓の中の手術。
まず胸の骨を縦に真っ二つに割ってガバっと開きます。そして心臓を露出させたら人工心肺に接続し、薬を使って心臓を止めます。
人工心肺を動かして血液を体に循環させている間に、心臓の中を切って人工弁を装着する。
それが完了したら心臓を閉じて、心臓を再び動かして人工心肺の離脱を行う。

いや、怖すぎでは… 1回死んでない?それ

病気の存在を自覚してはいたけど、平凡な高校生にとってあまりにも巨大で非現実的な恐怖であり、なかなか受け入れることができませんでした。

ところがどうやら紹介してもらった心臓外科医の先生は、弁膜症とりわけ僧帽弁の手術においては世界的な権威の先生なのだと。

その先生は「自分ならもっといい手術をしてあげられる」と仰いました。

そこで提案された術式が「弁形成術」というものでした。
これは人工弁を使わず、患者本人の元々の弁をうまく切ったり縫ったりして形を整えてあげることで逆流をなくすという術式です。

人工弁を使っていないので、人工弁の劣化や生涯にわたる抗凝固剤の内服を気にしなくてよいことは、きわめて大きなメリットでした。
この先生に手術をお願いするしかないと思いました。

時期は高校3年生になる頃でした。
先生は「手術は大学受験を待ってからでもいいよ」と仰いましたが、
当時何の夢も目標もなかったので、半ばヤケクソで「すぐ手術してください」とお願いしました。

そうして私は18歳の夏に心臓手術を受けました。

私の心臓は想定されていたよりも状態が悪かったらしく、一度止めた心臓がなかなか動き出さず、十数時間くらいの大きな手術になったそうです。

手術は無事に終了しました。
入院中、心臓外科の先生が他にも二人いらっしゃって診てくれていたのですが、お二人とも「自分にはあの手術は出来ない」と口をそろえて仰っていました。技術的に非常に難しく、長い経験と鍛錬が必要な手術だそうです。
ちなみに手術から15年経った今も心雑音は全くありません。


手術を受けた後、自分はなんて恵まれていたんだろうと心の底から感じました。

偶然地元にそんな凄い先生がいて完璧な手術をしてもらえたが、皆が皆そういうわけではない。
だったら自分もそんな腕のいい医者になって、自分と同じような心臓病で苦しんでいる患者を少しでも良い治療法で助けてやりてえ

心臓病を経験した人間だからこそ、心臓病の患者に寄り添えるしそれは自分にしかできない事だと思いました。

医学部進学を決めたのは、遅すぎる高校三年生の夏でした。

退院後から、人が変わったように勉強しました。
いかんせん底辺高校に通っていたもんで、退院直後の成績で医学部なんて当然箸にも棒にもかからないレベルでした。周りの受験生はもう仕上げに入っている頃でした。
予備校に行っていては間に合わないと思ったので自分でひたすら勉強しました。1日17時間くらい毎日やってたと思います。死ぬほど勉強しました。
そして約半年後、奇跡的に医学部に合格しました。

あんだけ勉強嫌いだった自分がこうも変わるとは、自分でも驚きでした。

今振り返っても、当時の死ぬほど努力したという経験は人生においてとても大きな財産になっていると思います。

おおもとを辿れば、それは心臓病があったからです。
心臓病を持っていなければ今頃絶対医師なんかになれなかったと思うし、努力もできない何もない人間になっていたと思います。

だから私は心臓病をもって生まれたことに本当に感謝しています。

病気は個を形成する巨大な因子になり得ます。
必ずしもよい因子になるとは言いませんし、寧ろ逆の方が多いでしょう。
しかし、これは医師になった今でも確かに心のどこかにとどめていることです。患者さんが治療の過程でどこかに「良かった」と思えることがあるならば、私にとってこれほどうれしいことはありません。


まあその後も色々あって(ほんとにいろいろあって)、今に至るわけです。
医師になってからのことや、本気で打ち込んだこと、色々ありますがまたそれは別の機会に。

ここまでの非常に読みにくい文章を読んでくださった方がいれば、本当にありがとうございます。

まだいくつか文字にしておきたいことがあるので、時間のあるときにのんびりつらつらと書いていけたらと思います。

それでは、さようなら。

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