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【特選映画】過激な描写が無くとも自由で平和な〈日常〉の大切さを教えてくれる映画

2020年代に入っても、子どものときに想像していた以上に、平和で自由ではない場所が減らないばかりか、新たに出現している現状を、ニュースで目にする度に、自由や平和な〈日常〉が当たり前ではないことを再認識させられます。その自由で平和な〈日常〉を維持するためには、多くの人がそのことを共有する必要があるかと思います。そして、映画は、それには、打って付けの媒体の一つです。

  ただ、現実をそのまま映像として体感することは、かなり心理的な負担を要します。特に、子どもたちには、心理的に耐えられない、トラウマを残す可能性も考えられます。

  そこで、今回は、過激な描写が無くとも平和な日常の大切さを実感できる、ヒューマンドラマに力点を置いた、個人的におすすめの作品をいくつか挙げたいと思います。


『さよなら。いつかわかること』(2008)


 ジェームズ・C・ストラウス監督、『マルコヴィッチの穴』のジョン・キューザック主演のアメリカ映画です。なんと、クリント・イーストウッドが音楽担当のみで参加しています。

ストーリーは、戦地に赴任している米軍兵士の妻グレースが亡くなったという知らせを受けたところから始まります。夫スタンリーは、現実を受け入れられず、娘たちに事実を告げられないまま、娘たちが望むフロリダのディズニーランドに旅立ちます。

  悲しみに暮れながらも、娘たちを思い遣る父親役をジョン・キューザックが好演していて、こちらの涙を誘います。(予告編だけでも伝わるかと思います。) 

また、戦地の描写はほぼありませんが、突然、グレースの存在=〈日常〉を奪われた現実が徐々に大きくなっていく様子がうまく描写されています。



『アマンダと僕』(2018)


『サマーフィーリング』のミカエル・アース監督・脚本のフランス映画です。東京国際映画祭でグランプリと脚本賞を受賞した作品です。

 脚本は、青年の成長を描いたヒューマンドラマの王道と言える内容ですが、フランス映画らしい、パリを中心とした美しい映像美と、落ち着いた丁寧な心理描写が、印象的です。

   内容的には、恋人やイギリスに暮らす母親との関係などかなり詰め込んでいますが、話の中心は、公園で起きたテロで、姉を失った青年デヴィッドと姉の娘アマンダの悲しみと再生をテーマにしています。アマンダに寄り添い絆を深めていく青年を演じたヴァンサン・ラコストの演技が、先程のジョン・キューザック同様に涙を誘います。

 こちらも、テロに関する直接的な描写はあまりありませんが、ささやかな平和な日々=〈日常〉を喪失した人々の〈日常〉がなかなか元通りには戻らない現実を丁寧に描いています。

(現在、Amazon prime 特典 で視聴できます。)

『ジョジョ・ラビット』(2019)


  こちらは、タイカ・ワイティティ監督の子どもの目線を通した反ファシズム映画です。アカデミー賞の脚色賞受賞作で、クリスティン・ルーネンズの『Caging Skies』を原作としています。

   コメディー映画に分類されているように、ワイティティ監督自らが演じるヒトラーをイマジナリーフレンドに持つ少年が主人公で、不謹慎な笑いから映画が始まります。

  しかし、英雄として信じていた想像上の友達が、少年ジョジョの大切な〈日常〉や周りの大切な人々を不幸にしている危険な存在であることに少しずつ気づいていくことになります。

  過激な描写は、ほとんどありませんが、スカーレット・ヨハンソン演じる母親のロージーが、ジョジョの目線を通して、衝撃的で重たいメッセージを投げ掛けてきます。それは、平和で自由な〈日常〉が当たり前のものではなく、常にそれを守るために行動しなくてはならないというメッセージです。

  また、ロージーが匿っていたエルサも、ジョジョの目線を通して、偏見というものがいかに危険で愚かなものかを教えてくれます。

   そして、もう一つ付け足すと、サム・ロックウェルが好演している大尉と親友のヨーキーが、共にジョジョを最後まで助けてくれる、真のヒーローとして描かれており、この映画において、重要な装置になっています。


『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997)


  イタリアのロベルト・ベニーニ監督・主演の反ファシズム・ヒューマンドラマです。

   前半は、主人公のグイドが、一目惚れした良家の娘ドーラに猛アタックして、駆け落ち同然で、結婚するまでを描いています。ロベルト・ベニーニらしい、コメディー調で描かれており、ドーラは実生活の奥さんでもあるイタリアの女優ニコレッタ・ブラツキが演じており、前半はとても幸せな気分になれる映画です。

  後半は、一転して一家は収容所に送られてしまいます。(ドーラは自ら列車に乗り込みます。) 

  この映画が他の類似の題材を扱った作品と大いに異なるのは、残酷な現実に対して、父親であるグイドが、息子のジョズエの、幸せな〈日常〉を守るためにあの手この手で奮闘し、タイトルが示すように、息子の人生を命を懸けて、汚すことなく守り切った話を中心に置いたところです。

  そうすることで、収容所の人々が解放され、ジョズエが母親のドーラと再会できたときに、観る側に安堵をもたらすと同時に、そこにいないグイドな存在が余計に大きく浮かびあがり、大きな悲しみをもたらします。

そして、もう少し付け加えると、医師を演じたホルスト・ブーフホルツやジョズエを演じたジョルジオ・カンタリーニの瞳もこの映画をより印象的ものにしています。

(現在、Netflixで視聴できます。)

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