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お前は、自分自身が創り出した恐怖に“恐怖”して走り去ったということだ。「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」無料公開/第14話

主人に仕える勇敢な猟犬・ジョンが主人や仲間から離れ、「ほんとうの自分」「ほんとうの自由」を探しに、伝説の聖地・ハイランドを目指す物語。旅の途中、多くの冒険、いくつもの困難を乗り越えながら、仲間や師との出会いを通じて、聖地・ハイランドに導かれていく。そして、ついにハイランドへの到達を果たすことになるのだが、そこでジョンが見た景色とは…。

【第14話】


 ゾバックは振り返りもせず、ベレン山を登り始めた。この獣道はおそらくゾバックしか通らないんだろう。他の獣たちの気配や痕跡が一切なかった。それはベレン山の王の道だった。


 深く生い茂った木々の間を抜け、しばらく登っていくと、周囲の風景が一望できるすばらしく景色の良い丘に出た。
 遠くにうっすら見えるのは北の谷だ。だんだんと日が暮れてきてそれ以上遠くは見えなかったけれど、天気の良いときは僕が住んでいた森も見えそうだった。


 ふと気づくと、その丘のちょうど真ん中に先ほどのさっきの楠ほどではないものの、大きな楠が一本立っていた。その枝の下に心地よさそうに落ち葉と枯れ枝が敷き詰められていた。ゾバックは楠が好きらしい。
 ゾバックは楠の下に行くと、ゆったりと振り返り、静かに座った。


 「座れ」


 僕は、言われたとおりに落ち葉と枯れ枝の上に座った。落ち葉と枯れ枝のクッションはとても心地よい固さに敷き詰められていた。
 ゾバックはしばらく黙っていたが、僕の目を覗き込むように聞いた。


 「お前にとって、一番大切なものは何だ?」


 予想外の質問に戸惑ったけれど、気を取り直した。
 これは、大事なことを聞かれている。


 一番大切なもの…
 一番大切なもの…


 僕は心に問いかけ、そして浮かんできた感覚を言葉に変えて口に出した。


 「いま、僕にとって一番大切なもの、それは『ほんとうの自分』と『ほんとうの自由』だ。僕はそれを探して旅をしているんだ」


 ゾバックはそれを聞いて、初めて表情を緩めた。


 「なるほど、私に再び会いに来ただけのことはある」
 そして、ひと呼吸置いてから話を続けた。


 「いかにも私は過去、『赤い魔獣』と呼ばれていた。しかし、私は自らそれを名乗ったことは一度もない。皆が勝手にそう呼んでいただけだ」


 ゾバックは少し不服そうに笑うと、僕の目をじっくりと見つめながら、ゆっくりと話した。


 「私に出会った多くの者が取る道は二つ。“恐怖”に駆られて私に挑んでくるか“恐怖”に駆られて逃げ出すか、このどちらかだ。つまり、戦うか、逃げるか、だ」


 「戦うか…逃げるか…」


 「私は挑んでくる者に手加減はしない。それがいかに“恐怖”に駆られてくる者であっても、だ。それが相手に対する私の礼儀なのだ。そして強い者が勝つ。勝負とはそういうものだ」
 そう言うと、口をへの字に結び、鼻から息をふぅ~と噴き出した。


 「そして逃げる者は、追わない。もう勝負はついている」


 そうか、ゾバックは“恐怖”の『赤い魔獣』ではなく、孤高の“戦士”なんだ。


「幸いにして私は今まで敗北したことはない。だから、ここにこうして生きている」


 ゾバックは語り始めた。ゾバックの目は生き生きと輝き、強さと自信と威厳に満ちていた。先ほどの全く感情を感じさせなかった黒い穴のような目とは大違いだった。
 ゾバックは、僕の気持ちを敏感に察したのだろうか、こう言った。


 「相手の意図が分かるまでは、私は“無”になるのだ」


 「 “無”…ですか…」


 「そうだ“無”…。これが闘いにおける最強の境地だ。相手の意図を察知した瞬間、最も早く、最も適切な反応が生まれる。そこに思考はない。感情もない。戦いにおいて、思考と感情は邪魔になるだけなのだ。そして、お前が見たものは、私の“無”だ」


 僕はゾバックの言っていることが、頭ではなんとなく分かったけれど、感覚的にはまだ理解できなかった。


 「理解できなくても当然だ。私もそこに到達するには、かなりの時間や犠牲を払ったのだから。私が“無”であるからこそ、私と対面した者はいやおうなく、『自分自身』と向き合うことになるのだ」


 「自分自身?」


 「そうだ、自分自身だ、私は“無”であるがゆえに“鏡”なのだ。したがって、私と相対した者は、自分自身と向き合うことになる」


 僕は、ゾバックと相対した時に感じた強烈な威圧感や圧力感、そしてなによりあの何とも言えぬ“恐怖”を思い出した。


 「そうだ。お前が感じた“恐怖”は、お前自身なのだ。お前の内面が鏡となって現れたのだ」


 「内面? 鏡?」


 「そうだ。お前が感じた恐怖は、お前自身が作り出したものなのだ」


 「僕自身が、作り出した…?」


 あの“恐怖”を僕自身が創り出したというのか? 
 そんなことはない。あれはまさしく“恐怖”そのものだったんだから。


 「お前は“そんなことはない。あれは自分が作ったのではない”と思っているだろう」


 心の中を見透かされた僕は、小さくこっくりとうなづいた。


 「いいか、あの時、私が何をしたか、思い出してみるのだ」


 僕は、ゾバックと初めて会ったときのことを細かく思い出した。ゾバックは、あの大きな楠の根元に座っていた。僕は木の幹を回りこんでいったが、ゾバックは目を閉じていた。ゾバックが目を開け、視線が合った瞬間、僕は“恐怖”に駆られて走り出した。


 そう…ゾバックは何もせず、僕を見ていただけだった。


 「……」


 「そうだ。私は何もしていない。目を開けて、お前を見た。ただ、それだけだ。しかし、お前は走り出したのだ」


 確かにそうだった。ゾバックは何もしていない。なのに、僕は勝手に“恐怖”を感じて逃げ出したんだ。


 なぜだろう??


 ゾバックは僕を攻撃するそぶりも見せなかった。なのに、なぜ、“恐怖”を感じたんだろう?


 「先ほども言ったように…私は“無”であるがゆえに“鏡”なのだ」


 「 “無”であり“鏡”…」


 「そうだ。お前の心の中に埋まっている“恐怖”が現れたのだ。あのとき、お前の頭の中でどんな言葉が走っていたか? お前の頭の中にどんな映像が流れていたか?」


 あのときの僕は…


 
 殺される
 死にたくない


 逃げろ!


 という言葉に頭の中を占領されてしまっていた。


 そして、伝え聞いた凄惨な映像が、はっきりと脳裏に映し出されていた。

 「それらはすべて、お前が自分の頭の中で作り出した“恐怖”という幻想なのだ」


 「恐怖…という幻想?」


 「私は映し鏡でしかない。お前は、自分自身が創り出した恐怖に“恐怖”して走り去ったということだ」


 「自分自身の“恐怖”に“恐怖”した…」


第15話へ続く。

無料公開、残り2話(15、16話)。

続きを一気読みしたい方は、12月21日発売の「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」でお楽しみくださいね。

僕の肺癌ステージ4からの生還体験記も、よろしければ。


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