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逃げるな! 進め! 前に出ろ! ほんとうじゃない自分と、決着をつけるんだ! 「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」無料公開/第13話
主人に仕える勇敢な猟犬・ジョンが主人や仲間から離れ、「ほんとうの自分」「ほんとうの自由」を探しに、伝説の聖地・ハイランドを目指す物語。旅の途中、多くの冒険、いくつもの困難を乗り越えながら、仲間や師との出会いを通じて、聖地・ハイランドに導かれていく。そして、ついにハイランドへの到達を果たすことになるのだが、そこでジョンが見た景色とは…。
【第13話】
半日ほども歩いただろうか、目の前に例の巨大な楠が見えてきた。
巨大な幹から異様な形のこぶのような根っこが広がり、そこからまるでそれぞれが意志を持っているかのような枝が、放射状に広っていた。その枝から小枝が湧き出るように生え、そこからも無数の葉が噴き出していた。そして、その幹の中心部分から、あのなんともいえない重苦しい威圧感が放射されていた。
あそこに…いる。
その気配は紛れもなく“恐怖”の源である『赤い魔獣』の気配そのものだった。
僕はいつものように風下に回って近づこうと考えけれど、ふと思い直した。
やめよう。同じだ。
どんな小細工をしても、ヤツには通用しない。
それなら正面から行こう。
これは僕の“恐怖”と“不安”、ほんとうじゃない自分との対決なんだから。
しばらく歩くと、巨大な楠まで数百メートルの距離までやってきた。
その場所からは楠全体が見え、その巨大な幹の真ん中にこれまた巨大な動物の影が見えた。
やっぱり、いた…
ここからでも見えるくらいだから、相当な大きさだ。
心の中に“恐怖”が吹き荒れ始めた。
先輩の犬たちから聞いた凄惨な伝説、ガジョやその仲間たちの悲惨な最期…
でも、ここで逃げるわけにはいかない。もう、逃げ回るのはやめだ。そんな生き方はしたくない。それは僕のほんとうじゃない。
僕は少しずつ楠に近づいていった。巨大な影がどんどんはっきり見えてくる。やはり、巨大な大熊が座っていた。なんとその大熊は、座っていても今まで見た中で一番大きなヒグマの立ち姿よりも大きかった。立ち上がれば十二~三メートルはあるかもしれなかった。その赤黒い剛毛はうわさでは人間の弾丸も跳ね返し、大木のような太い腕と鋭い黒爪の一掻きで、馬が人間ごと真っ二つになったそうだ。
頭のスクリーンに凄惨な光景が浮かび上がると、恐ろしさの足があまりガクガクと震え始めて、立ち止まってしまった。
無理だ、無理だ、殺される!
恐怖が、叫びだす。
逃げろ、逃げろ、逃げるんだ!
生きていてこそ、次があるんだから。
今からでも遅くない、ここから離脱するんだ!
走れ!
逃げろ!
今度はその声を押さえつけるように、自分に言い聞かす。
逃げるな!
逃げるんじゃない!
それじゃ、この前と同じじゃないか!
違うだろ、対決するんだ。
“恐怖”と向き合い、対決するんだ!
ほんとうじゃない自分と、決着をつけるんだ!
逃げるな!
進め!
前に出ろ!
また、恐怖が叫び出す。
なに言ってんだ!
逃げろ、逃げろ、逃げるんだ!
逃げるな!
進め!
前に出ろ!
僕は、目をつぶって心の中に念じると、恐怖を勇気で無理矢理に押さえつけ、一歩一歩、また歩き始めた。
いよいよ五十メートルまで近づいてきた。もう、大熊の顔もはっきりと見える。大熊は以前と同じく目をつぶっていた。
気づいているに違いない。もう、とにかく行くしかない!
がくがくと震える足を引きずりながらも、勇気をふりしぼって一歩、また一歩と踏み出した。少しずつ、しかし確実に僕は大熊に近づいていった。
三十メートル、二十メートル、十メートル、五メートル…もう大熊は目と鼻の先だ。
大熊の発する威圧感は、この場所だけ重力を数倍にもしているようだった。もう、手を伸ばせば届きそうだ。
三メートル…
大熊はまだ目をつぶっている。
僕の視線は大熊の顔に釘付けになっていた。大熊がいつ目を開けるか、不安でいっぱいだった。
しばらく、そう、数分ほどもそうやっていただろうか。でも、大熊は全く動かなかった。
ここから、どうしよう?
ここまで来たのはいいけれど、この先どうするのかは全く考えていなかった。頭の中は真っ白だった。
そうしてまたしばらくそこに立っていただろうか、だんだんとその重苦しい空気にも慣れてきた。大熊の発する威圧感も最初ほどは感じなくなって、呼吸もやや普通にできるようになってきた。酸素が供給されて、それにともなって頭も動き始めた。
話しかけてみよう…でも、起こして襲われても…
いや…本当に寝ているんだろうか?
もし起きているんだとしたら、何のつもりだろう?
よし、『赤い魔獣』が目を開けるまでここで待ってみよう。
僕は、辛抱強く大熊の前に立つことに決めた。
大熊は目を閉じたまま、微動だにしない。
大熊の発する呼吸の音だけが、周囲を圧していた。
僕にとっては永遠に近い時間が流れた気がしたそのとき、なんの予兆もなく、突然大熊が目を開けた。
あの、黒い穴が僕を見つめた。
うわ~っ
踏ん張れ!
僕は頭から穴に吸い込まれそうになりながらも、爪にぎゅっと力を入れて踏ん張った。
大熊は黒い穴で僕をじっと見つめていたが、しばらくすると、地の底から響いてくるような低い声で僕に話しかけた。
「お前…」
きっと、悪魔とか大魔王とかがいたらこんな声なんだろう、と思わせるような声だった。
その表情は、全く感情がなかった。
「お前…いつまでそうしているつもりだ。何か用か?」
僕は何か答えようとしたけれど、口がパクパクとむなしく動くだけで、声がまったく出なかった。
「…」
大熊はまた無言になり、黒い穴で僕を吸い込み続けた。
落ち着け、落ち着け…
僕は大きく深呼吸して、新鮮な空気を肺と脳に深く流し込んだ。恐怖で酸欠になっていたあたまと細胞に酸素が供給され、ようやく少し落ち着きを取り戻した。
「…ハ……ハイランドに…行きたいんだ…」
声をふりしぼって、やっとそれだけ言葉が出た。
声を少し出すことができてちょっと楽になったので、僕は続けた。
「…ハ…ハイランドへのみちを…お…教えていただきたいのですが…」
大熊は、しげしげと僕を見つめて言った。
「なぜ、ハイランドに行くのだ?」
その低く響く声は、地獄の裁判官のようだった。
僕は勇気をふりしぼった。
「ぼ…僕には責任がある。だから…だから僕は絶対に、絶対にハイランドへ行かなくちゃいけないんだ」
すっと大熊の表情が変わり、黒い穴の奥がキラリと輝いた。
「お前の言う『責任』とは、いかなる責任か?」
僕はまたも、勇気をふりしぼって答えた。
「僕にこのことを伝えてくれたダルシャに対する責任、自らの魂の声に従って闘い、その結果、僕が殺してしまったガルドスに対する責任、そしてなにより僕自身の『魂の声』、ほんとうの自分に対する責任だ」
「私が誰だか、知っているか?」
「知っているとも。『赤い魔獣』だろう」
大熊は、フンと不服そうに鼻を鳴らすと言った。
「私の名は、ゾバック」
ゾバックはゆっくりと立ち上がった。立ち上がるとその大きさはあまりにも巨大だった。下から見上げると、ゾバックの顔が見えない。
ゾバックは、はるか頭上から言った。
「お前、名はなんと言う?」
「ぼ…僕はジョン」
「ジョン、私についてきなさい」
そして、のっしのっしと歩き始めた。
僕は覚悟を固め、ゾバックの後ろについて歩き始めた。
第14話へ続く。
無料公開、残り3話(14~16話)。
続きを一気読みしたい方は、12月21日発売の「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」でお楽しみくださいね。
僕の肺癌ステージ4からの生還体験記も、よろしければ。
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