「5年後も、僕は生きています ㊴寛解」
㊴寛解
2018年4月25日、3ヶ月ごとに撮影しているCTの結果を聞くために、東大病院へ行きました。
昨年末の12月から、骨転移でボロボロになった骨を再生する薬である「ランマーク」を止めていました。
なるべく身体に薬剤を入れたくなかったからです。
止めて5カ月経っていたので、その結果も診るちょうどいいタイミングでした。
診察室に入ると、いつもと同じように井上先生が聞いてきました。
「体調はいかがですか」
「はい、元気です。全く問題ありません」
「おお、そうですか、良かったです。CTも全く変わらず、きれいなまんまです」
「この筋は、消えないですね」
原発のガンがあったところに、白い筋が薄く残っていました。
「ええ、これはガンの跡、かさぶたみたいな感じでしょうね。そういうものもCTでは写るんですよ」
「じゃあ、いま、僕の身体にはガンはない、と考えても良いのでしょうか?」
「はい、細胞レベルの小さなものは分かりませんが、CT上ではガンは見当たりませんね」
…
もしかして…
ついに来たか?
僕は思い切って聞いてみました。
「先生、それじゃ、寛解、と言ってもいいでしょうか?」
「はい、そうですね。寛解に近いレベル、いや寛解と言っても差し支えないでしょう」
やった!
やったぞ!
ガン患者が目指す目標である「寛解」。
ガン患者は「完治」ではなく「寛解」を目指します。
まあ、僕にとっては同じような意味なんですけれど。
「完治」は完全に治っている状態で「寛解」はガン消えている状態です。
西洋医学ではガンは一度なったら細胞レベルのガンは無くならないと考えて、「完治」という言葉は使わないそうですが、誰でも毎日約5000個のガン細胞が出来ていると言われているので、おんなじことでしょう。
ま、それは置いておいて、そう、ついにドクターから「寛解」の言葉を聞くことが出来たのです。
ついにドクターから「寛解」の言葉が出た!
僕はついに“病院”から、「寛解」をもらった!
なんだかんだと偉そうなことを言っても、やはり小躍りしたくなる気分でした。
さらに一歩踏み込んで聞いてみました。
「では、アレセンサを止めても大丈夫ですか? 僕の中にはいま、もうガンはないんですよね」
井上先生が笑いながら答えました。
「いえいえ、そういうわけにはいきませんね。いまはアレセンサでこの状態を維持していると言えますので」
「では、アレセンサの量を減らすことは出来ますか? 例えば、半分にするとか?」
「いえ、それもやらない方がいいでしょう。
動物を使った薬の治験で、ガン細胞が再活動する条件のひとつに薬剤の分量を減らす、というものがあります。
全てではありませんが、そういう結果、つまり薬剤を減らすと再発のリスクが高くなる、という結果もありますので、それも危険だと思います。私としては認めることは出来ません」
「分かりました」
僕は井上先生の言葉に素直に従うことにしました。
これも、サレンダーなのです。
以前、殺傷系の抗がん剤を勧められたときに感じた直感的な“やりたくない”は感じませんでした。
僕の中でうごめいていたのは、分子標的薬「アレセンサ」を飲まなくても寛解状態を維持している“僕”、西洋医療に頼らなくても、ガンを消して元気でいる“僕”、そういう“僕”ってすごいでしょ、とアピールしたい気持ちでした。
これは“自我/エゴ”です。
僕はすごい。
僕は特別
僕は違う
僕はこのころから、サレンダーを経験したせいなのかどうなのか分かりませんが、自分の中にいてあれこれしゃべっている「小さいエゴ」の声が分かるようになってきたのでした。
その声が客観的に聴こえていれば、振り回されなくてすみます。
ああ、エゴ君が、またこんなことしゃべってるな~
と、気づけばいいんです。
気づくからこそ、その声には従わない、という選択が出来るようになるんですね。
「先生、実は今、ガンからの生還体験の本を書いていまして…」
「おお、それはすごいですね」
「井上先生のことも出てくるのですが、いいですか」
「あ、はい、まあ」
めずらしく井上先生が戸惑いました。まさか自分が本に登場するとは思わなかったのでしょう。
「大丈夫です。仮名にしておきますから」
「あ、すいません、よろしくです」
(井上先生は、仮名です)
こうしてついに、僕は「寛解」しました。
「アレセンサの次の薬ももう出来ていますから、もし万一再発しても、とりあえず安心ですね」
「そうなんですか、すごいですね」
父の言うように、西洋医学の進歩、発達は凄く進んでいます。日進月歩、日々優秀な研究者たちが新しい治療や薬を開発しているのです。
でも…
「でも…先生、僕は再発はしませんよ」
「と、いいますと?」
「僕はこのアレセンサの最長不倒記録を作るつもりです」
「…」
「この薬の服用を止めることが出来ないのであれば、再発せずにずっとこのまま、あと30年くらいは飲み続けますよ。そして死ぬときはガン以外の死因で死にます」
井上先生はそれに笑顔で答えました。
病院を出ると、春の風が祝福しているように、爽やかに僕の頬を撫でていきました。
同じ頃、ついに本が書き上がりました。
約4か月、前の原稿はほとんど見ずに、新しく書き直しました。新章である「ガンからの生還で気づいたこと」も書きあがりました
題名は、どうしよう?
いい案が浮かびませんでした。
近所のコメダ珈琲で編集の吉尾さんと打ち合わせたとき、吉尾さんは言いました。
『僕は、死なない』
「というのはどうですか?」
「えっ?
『僕は、死なない』
ですか?」
それは、全く予想外の題名でした。
「でも、僕は、いずれ死ぬんですけれど…」笑いながら答えると、吉尾さんは言いました。
「刀根さんの原稿を読ませていただいていて、特に刀根さんがサレンダーして、僕は治る、と確信するシーン、そこから“僕は、死なない”っていう題名が湧いてきたんです」
なるほど、さすが吉尾さんです。
最初のエゴ(自我)で、「僕は絶対に死なない、この戦い、負けるわけにはいかない、敗北は死だ」の『僕は死なない』じゃなくて、サレンダーしたあとの、安心と確信安らぎに満ちあふれたあの「空間」の体験、そこから取った「僕は、死なない」なのです。
「おお、そうだったんですね。確かにあのとき、“僕は治る”“僕は死なない”って自然に思いましたし、確信しました」
「いかがでしょう?」
「ええ、いいですね。僕では決して思いつかない題名です。さすがです」
「題名的にも、インパクトがあっていいと思います」
「では、それで行きましょう!」
「はい、よろしくお願いいたしします」
「それで、以前いただいた、刀根さんがむかし書かれた原稿なんですが…」
「はい…」
「全部ではないのですが、いくつかを読ませていただいて、これもとても素晴らしい、面白いと思いました。こちらもぜひ、今後出版の方向で考えさせていただければ、と考えていますが、いかがでしょうか?」
「いえいえ、とても光栄です。ガンからの体験も書き直したら全く違う完成度、クオリティになったように、いまあの原稿を書き直すと、もっともっと深い内容になるような気がします。ぜひ、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。私は魂を揺さぶるようなエンターテイメントを出版したかったんです。そういう意味で、私はラッキーです。そして、刀根さんも私に出会ってラッキーだと思います」
「そうですね、お互いにラッキーですね!」
こうして僕の本の題名が決まったのです。
『僕は、死なない。』
副題『全身末期ガンから生還してわかった、人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』
このときは、まだこの本がどれほど多くの人たちの手に渡り、どんな影響・波紋を広げていくかなんて、僕にはさっぱり予想だに出来ませんでした。
㊵へつづく
「5年後も、僕は生きています」第1話から読みたい方は、こちらから読むことが出来ます。
PS
そのとき読んで頂いた原稿の中にこの本がありました。
「読んだら人生が激変する」とご紹介頂けるほど、ご推薦いただいて感謝しかありません。10分ほどの画像です。よろしければ見てくださいね。
★4月24日の講演画像です。よろしければ。
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