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『5年後も、僕は生きています。①癌宣告からサレンダー体験まで』

「5年後も、僕は、生きています。」

第1回「癌宣告からサレンダー体験まで」

2016年9月1日、僕の運命を変えたあの「肺ガンステージ4宣告」の日から5年と3か月たちました。

あの日、3か月後、自分が生きていることが想像出来ませんでした。

でも、こうして5年以上たった今も元気に生きています。

とりあえず、いま、僕の身体にはガンはありません。

まあ、いつ再発するか分からない状況ですが、そんな未来のことを心配して不安になったり、ネガティブな感情に支配されたりすることはエネルギーの無駄だということを、たくさんの経験で学びました。

今回、新たに2022年を迎えて、この5年と3か月を僕なりに振り返ってみようと思いました。

いま、こんなふうに偉そうに書いていますが、この5年とちょっと、僕なりに本当にいろいろありました。

僕の魂は「ガン体験」だけでなく、他にもいろいろな学びを用意していたよいうなのです。

川の中で石が転がって角が削られて丸くなっていくように、魂もいろいろな経験を体験することで、学び、成長し、角が取れ、本来の姿や形に戻っていくのだと思います。

そういう意味でも、目の前に展開する「体験」は「自分の魂が決めて、自分の人生の出来事として起こしている」と言えるのかもしれません。

たとえそれが「自我(エゴ)」的には耐え難いような辛く、苦しい体験であったとしても。

その体験を振り返りながら、僕なりに捉え、僕にとってどんな意味や気づき、成長の糧となったのかを書いていきたいと思います。

よろしければ、お付き合いくださいね。

それでは、はじまり、はじまり~

2016年の9月1日に、告知を受けたところから、すべては始まりました。

詳しくは、前著「僕は、死なない。」に書いてあります。

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そのとき発覚した「肺ガンステージ4宣告」のあと、僕は通常の標準治療を断りました。

最初の大学病院でドクターから、こう言われたことが大きかったのかもしれません、

 「治りません」

 「抗がん剤治療で延命しかやりようがありません」

 「分子標的薬は使えません」

僕はガンを治したかったので、そのドクターの言葉を受け入れることが出来ませんでした。

あともう一つ、それを受け入れてしまうと、本当にそうなってしまう、治らない、延命しかない、あとは死を待つだけ、そんな未来に直面するのが恐かったのかもしれません。

とにかく「治らない」と言っている医者や病院の言うことは聞き入れずに、

「じゃあ、自分で治してやる」という覚悟と決意で、ガンと戦う事にしたのです。

そして、ガンとの戦いの日々が始まりました。

 戦え!

 戦え!

 負けたら死ぬぞ!

 この戦い、勝つしかないんだ!

そうやって9が月間、調べ、本を読み、クリニックを巡り、食事や生活習慣、サプリや代替医療など、徹底的に「出来ること(Doing)を積み重ねて、ガンと戦って戦って、戦い続けました。

何をやったのかは、詳しくは「僕は、死なない。」をお読み下さいね。

まあでも、僕の身体と血液がこの9ヶ月間でキレイになったことは間違いありません。

その後の劇的なガンの消失は、この9ヶ月間の代替医療による体質改善があったからだと、僕は確信しています。

しかし、体質改善だけで僕のガンは消えませんでした。

僕にはまだ、他のピースが必要だったのです。

翌年、2017年の5月には右目が見えなくなり、自分の名前やひらがなも分からなくなる、という状態に陥りました。

そのころの僕はいつもポジティブシンキングで必死に乗り越えてきたのですが、ポジティブシンキングでは乗り越えられない壁がついにやってきたのです。

そう、必死という字は「必ず死ぬ」と書くんですね。

死んでしまっては、元も子もありません。

そして、クリニックの紹介で東大病院に行った僕は、東大のドクターからこういわれました。

「肺はかなり進んでいますが、今日明日にどうというレベルではありません。

しかし、脳が大きく腫れています。これだけ大きく腫れているということは、かなり大きな腫瘍があると思われます。

もしかすると、最悪、来週にでも呼吸が止まる可能性もあります」

 「医者が100人いるとすると、100人全員がすぐに入院を勧めるレベルです」

 血液検査の後、入院するかどうか、お返事ください」

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(これは6月16日のMRI画像です。下が前/顔ですから、左脳のしわが完全になくなっていますね)


診察室を出て、血液検査のあと妻と二人で待合室の天井を眺めました。


 やれることは、ぜんぶやった…

 出来ること、ぜんぶ、ぜんぶ、やった…

 やって、やって、やり尽くして…

 でも、全部だめだった

 全部、無駄だった…


 ふう~っ


でも、そのとき僕にやってきたのは「絶望」ではなかったのです。

それは「解放」でした。

そのときの僕は、9か月間「肺癌ステージ4」という状態や環境、思考によって常に断崖絶壁に立たされている心境でした。

それはまるで、圧力釜で下からあぶられ続けられていた状態ような状態でした。

その真っ暗で高圧な鍋の中から、一気に青空に、何もないまっさらで広々とした自由な空間に解き放たれたのでした。

そこに、今までの「頑張るオレ」「戦うオレ」「必死なオレ」は存在しませんでした。

そうです、その「オレ」自身が消えてしまったのです。

それはまさに、それまで「これがオレ、これが私」と思っていた「自我(エゴ)」」が破壊された瞬間でした。

何も考えられない、思考がなくなる、それは「解放」だったのです。

「自我(エゴ)」が破壊されても、僕はそこに存在していました。

そのときは、ただただ気持ちよくて何も考えていない状態でしたが、いまから振り返ると、「ほんとうの自分はエゴ/自我ではない」という体験をしたのだと理解しています。

そう、ほんとうの僕たちは「自我/エゴ」を超えた存在なのです。

僕の魂の計画は、きっとそれを体験させるために「肺ガンステージ4」という出来事を目の前に出現させたのだと思います。


 自分を手放す

 

 自分を明け渡す


 サレンダー(降参)する…



 その「自分」,降参する「自分」とは、自我・エゴのことです。


 わたし、わたし

 おれ、おれ

 ぼく、ぼく…


そういう「わたし」を手放して、もっと大きな「わたし」にアクセスする。

いや、もっと大きなわたし、それがほんとうのわたし。

ああ、そうなんだ、そうだったんだ…

 

すると、「わたし」は消えていき、「わたし」はいなくなる…

言葉にするのは難しいのですが、そんな、体験でした。


すべてのことは「魂の計画」。

この大きな心理的体験・変換があってから、まるで「神さまの時間割」のように不思議な出来事が向こうから次々にやってきました。

 

これが、僕にとって必要なもう一つのピースだったのです。


そしてこのピースがはまったとき、不思議な確信がやってきました。


「僕は治る」


何が起こるか分からないけれど、「治ることは分かっている」そんな確信です。

僕はなんの根拠もなく「治る確信」を得たのです。

第2回へ続く


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読んでいて、泣けてくる人が多いそうです。

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