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誰にも知られていない置屋の廃墟

皆さんは宮城県蔵王町にある遠刈田という町はご存知だろうか。ここは温泉街として有名で、御釜などに行く観光客や登山客などが休日は温泉に入りに来る。
今ではずいぶん寂しくなった町並みだが、ほんの数十年前まではデートで来るといえば遠刈田と言われた場所らしい。
さて、実はこの遠刈田には誰にも知られていないが置屋の廃墟がある。
なぜ誰にも知られていないのかというと、表通りからは全く見えないからだ。とある建物の裏に入らないと見ることができない。
私は許可をとってこの廃墟を撮影することができた。


置屋の欄干


置屋の外観


置屋の中庭跡


置屋の中(一階部分)

町史によると遠刈田に置屋ができたのはおよそ江戸時代頃と書かれている。
当時観光地化していた遠刈田にお客をもてなす場として置屋ができたようだ。
この置屋というのはよく遊郭と混同されがちだが、システムが全く違う。
簡単に言えば、遊郭は女性がいるところにお客が遊びに行くシステム。置屋は、揚屋と呼ばれる旅館や飲みの席に置屋で待機している女性を派遣するシステムだ。
ところが時代の変化とともに次第に置屋でもお客がやってきて飲み食いをすることになったので、この辺がちょっとややこしい。
遠刈田では置屋以外にも置屋の女性が利用する美容室などもあった。
町史によるとお盆の時期になると観光客と芸者さんが一緒になって盆踊りを踊っていたようだ。その他、仮装パーティーのようなことも行われていたとのこと。
さらに面白いのが、遠刈田のこけしの赤い放射状の模様は「おいらん髷」と言うらしい。
これほどまでに置屋と遠刈田は密接な歴史を持っていながら、今は全く語られないのがちょっと残念。
もう少しこの置屋の歴史を掘り下げてみたいと思う次第。

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