うつ病になるとなぜ孤立するのか

私には親友と呼べる人がいる。
彼とは幼いときに出会い、以後、なんだかんだ関係が続いて今でも友人でいる。
彼とはなんとなくな話はしていたが、自分の病気のことは告白していなかった。
してもよかったのだが、する機会がなかった。
いや、やっぱり告白するのが怖かった。
彼の性格上私がうつ病だからって私を嫌いになったりはしない。
しかし、気は使うだろうなと思った。
だって突然「僕は重いうつ病でね、自殺未遂もいっぱいしてるんだ」なんて言われたら、なんて返せばいいか困るだろ?
事実、私の周りにいた多くの人が「まずは病気を治して」とか「病気が治ったら会おう」なんて言って去っていった。
病気が治ったらなんて気軽に言うけど、私は10年以上もこの病気で、これから先治るなんてことはほぼないに等しい。

親友に迷惑をかけたら嫌だなと思い、ずっと病気のことは言わなかった。
ところが、先日強い希死念慮が湧き上がった。
いつの日だったか、医療関係者に言われた言葉。
「今日日がん患者よりうつ病患者のほうが突然死する可能性が高い」
自分はやっぱり突然死ぬかもしれないと自覚した。
もし自分が突然死んだときに、親友が病気のことを知らないのは不公平な気がした。
だから私は彼にうつ病であること、自殺未遂をいっぱいしていることを伝えることにした。

「実はね、俺重いうつ病でさ。自殺未遂いっぱいしてるんだよね。んで、仕事も見つからないのにひとり暮らししてんの。もういつ死んでもいいかなと思って」
こんな趣旨のことを親友に話した。
長い沈黙があるかと思いきや、親友はいつもの調子で返してきた。
「まじで!? じゃあ今暇なん?」
「まあ、やることないしね」
「別に死ぬのはとめんけえさ。うちに遊びに来いよ。半月くらい泊まればいいじゃん」
ふっと肩が楽になった。
自分のことを告白して、真っ先に「会おうぜ」と言った人はこの人が初めてだった。
別に軽い感じだから嬉しかったわけじゃない。
別に彼が深刻に考えてないわけじゃない。
ただ、「じゃあ、会おうぜ」と言われたことが嬉しかった。

私は以前福祉関係の仕事をしていた。
その時、たくさんの社会的に「弱い」人と会ってきた。
では弱いとはなんだろうか。
障害者?老人?無職?
たぶんどれもが正解だ。
私が思う弱い人とは、立ち直ろうとしているのに周りに応援してくれる人がいない人だ。
つまり弱いとは個人の能力や努力だけに左右されるのではなく社会の問題なのである。
私が過去関わった要支援者で、これはもうだめかもしれないと思われていた人が周りの人のサポートを受けながら短期間で自立した人がいた。
一方、まあ、この人は大丈夫と誰からも思われていた人が人間関係を拒み引きこもり孤立したことで、本来数ヶ月で自立できたのに何年もずるずると自立できない人もいた。

私はうつ病だ。
うつ病になると様々な問題を起こす。
自殺未遂まではいかなくても、ネガティブなことを呟いて周りを暗くさせたとか、ついイライラして大声をあげてしまったとか、頭がぼーっとしてて仕事でミスを連発したとか。
そういう小さな失敗が積み重なって自責の念に苛まれ自己嫌悪と人間不信に陥っていく。
いきすぎると、自分はいつの間にか社会から孤立していて、金もないので立ち直るのが難しくなる。

だから今回私は「じゃあ会おうぜ」と言われて心底救われた。
そうか私みたいな精神状態のときには、信頼できる誰かに会ったほうがいいのかと初めて気づけた。

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