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遠刈田のこけしと花魁の関係性。そこに大人の恋愛ドラマがあったのではないか。

宮城県遠刈田はこけしで有名な場所だ。
東北には様々なデザインのこけしがあれど、遠刈田のこけしは遊女をモデルにしていると考えられる。
遠刈田の遊女に関しては別記事で確認してもらいたい。

宮城県遠刈田のこけしは花魁をモデルにしている。
私がアーティスト・イン・レジデンスで遠刈田マルヨシを訪れリサーチをした際、上記のエピソードを知ってある漫画を思い出した。
それは藤子・F・不二雄先生の「山寺グラフィティ」という話だ。この話の中で、想い人をこけしにするという下りがある。
私は遠刈田のこけしにもそういうドラマがあったのではないかと考えた。
遠刈田に遊女がいたことは町史および置屋の廃墟、地元住民の証言から確定している。
また、遠刈田のこけしはおいらん髷と呼ばれる髪型をしており、あきらかに花魁をモデルにしていた。
ということは、遠刈田を訪れた旅人が遊女に恋をして、職人に遊女に似せたこけしを作らせた、なんてことは考えられないだろうか。
こけしは玩具だったため、男性が家に持って帰っても妻や家族達に怪しまれない。つまりちょっとした不倫だったのではないかと想像したのである。

だが、ここで佐伯順子著の「遊女の文化史」に目を通してみる。
そうすると、昔の妻は男は世間が大事と考えており、むしろ遊女に嫉妬するなんてみっともないと思われていた。
遊女はお金を払いさえすれば関係を持てる、言い換えれば公の存在である「公界」の性を生きる女性だった。それゆえに、特定の男の所有物になることができなかったのである。
だとすれば、こけしは(男性視点ならば)所有できない遊女を所有する、あるいは(遊女視点なら)本来ならば所有してもらえない男性に所有してもらえるという繋がりのためのツールだったのではないか。

木地職人が減っている中、こけしにまつわるエピソードもだんだん薄れていっているだろう。なんとか遠刈田と山形県の木地職人を取材して歴史を辿りたいと考えているが、どうもね、予算がつかないので困っているところ。


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