写真集「指と星」の世界について / ドローイングや実験的な作品

「指と星」は写真集だが、写真だけではなくてドローイングも何点か入っている。だから写真集という言い方はもしかしたら少し適切ではないかもしれない。作品集という言葉も考えたのだが、それだとどうしてもカタログ的な感じが拭えず、結果写真集という扱いで発表している。私は写真集を文字ではなくビジュアルを通して何か新しい世界を伝えるものだと考えていて、その考えが合っている。

ドローイングは昔から描いているが、スリットと同様に写真に比べて時間がかかることが良い。「指と星」に収められたドローイングは作品の一部を切り取ったものだが、それでもこの密度なので想像できると思う。やはり数ヶ月をかけて描いている。

白い紙に描いたドローイングもあれば、写真の上に描くドローイングもある。画用紙に印刷した写真を水で洗い、その上にドローイングを描いて行く。植物のようなラインとともに目(瞳)を意識しているのと思う。特に意識はしていなかったのだが自分の神経が集中しやすい触覚と視覚を象徴しているようにも感じる。

私のドリーイングの特徴として、とにかく細かいとうことはあると思う。あと装飾的なところ。装飾性というのはまたそれで新しいコラムを書きたいが、私の作品の大きな要素だと思う。装飾性ということで表現が浅いということでは決してない。むしろ装飾性こそが本質なのではないかとパリのデコレーションで彩られた街に住んでいたら感じられるようになっている。そうした装飾的な部分はむしろ写真よりドローイングの方に如実に表れているのかもしれない。

加えて、この写真集には何点か実験的な作品を入れている。実験とはいえ主要な作品と響きあうレベルだから入れている。例えば上のこの作品。説明がなければ?となってしまうかもしれない。この少年の写真はパリの道端で拾った写真だ。パリは時々写真が落ちている。そんな街なのだが、その写真を指先に持ちその姿をブローニーのフイルムで撮り、さらにそれをスキャンしてデータ化したものを紙に何度も繰り返し印刷した。四、五回以上印刷すると色がハレーションを起こし、その色の感じを好ましく感じている。さらにその上に黄色いインクをかけている。写真の定義として「かつて、そこに、あった」というのがあるが、ここまでしてもしかしこの写真は「かつて、そこに、あった」のだ。そこに写真というものの強度と面白さを感じている。


今回、その少年の写真を、宮島でとった長い付き合いになる知人の写真をモチーフにした作品と対になるように配置した。片方はスリット、片方はインク。片方は長年の知人、片方は知らない少年。共通するのはどちらも写真を手に持っているところが写り込んでいるくらいだろう。しかしどちらも何だか目が離せない存在感を出していて、結果対で配置することにした。


もう一つ実験的な作品といえばこれになる。実験的とはいえないくらいすでに色々作品にしているのだが、フイルムの表面に直接虫眼鏡で太陽光を当ててフイルムのゼラチンを溶かしたものだ。光を一番与えた部分が漆黒の闇になり、同時にその周りにどこか人間の肌の一部かのような気泡が現れる感じを好ましく感じている。写ったものの一部を見えないようにするという意味ではスリットの作品でも同じなのだが、この作品はもっと時が止まったかのような静かさをたたえている。


このように写真集「指と星」には色々な試みを通してできた作品も入っている。それらを一冊の本に入れることについては、内容に統一性が取れるかという心配もあったが、小さくまとまりたくなかったので結果上記のような作品も本に入っている。実験的とはいえ、魅力は多くそして他の写真とも響き合っている。ぜひ写真集を手にとって確認して頂けたら幸いです。


ここに公開している写真はこの写真集「指と星」のほんの一部です。興味を持って頂けたら以下の出版社のサイトからご購入いただけます。

もしくは少々割高で9月のお渡しになってしまいますが、写真集に加えてクラウドファウンディング で行った特典もついたものもお選びいただけます。


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