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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run32

⭐社会『を』教えるのではなく、社会『で』教える⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)
勤務校の高校3年生にとっては、今日の倫理の授業が高校で受ける最後の倫理でした。2月からは自宅学習となり、3月の卒業式直前に卒業関連の予定で登校することになりますが、通常の授業はこれで終わりです。

1月に入ってからは、高校生の学びのまとめになるような授業展開を意識してきました。

よく耳にする言葉に「社会『を』教えるのではなく、社会『で』教える」というものがあります。前者の場合、社会の内容自体が「目的」になっているニュアンスで、知識・情報を伝えることが中心になりがちです。それに対して後者の場合、社会の知識・情報はあくまでも「手段」であり、それは或るテーマ(主題)の理解を深めたり、或る疑問(探究的に捉えるならば課題)の追求(探究的には解決)について考えたりする際に活用していくことで、学びの効果が増幅されるようなものだと思います。

昨今、学校の授業に求められるものは後者であることは頭では分かっているのですが、知識・情報を伝達する授業スタイルの方が、授業中の想定外が生まれにくいため、定式化された授業準備で済むという安心感・気楽さから、なかなか後者を実践できていない自分がおります。

探究学習について色々と考えている経験も、実際の授業で前者ばかりになっているようでは、絵にかいた餅になっているなあという自分に対する情けなさもあります。

しかしこの1月に高校3年生に対して働きかけた倫理の授業は、知識・情報を確認しつつも、それがメインで終わらないように組み立ててみました。

そして何とか最後の最後で、「社会『を』教えるのではなく、社会『で』教える」について、わずかばかりの手応えがあり、そして、生徒たちにも「倫理という授業を何のために学んできていたのか」というまとめもできたような気がしています。

今日の授業の「めあて」は、「共感について考える」でした。共感というものはグローバル化が進む現代社会において、ますます重要なものになっているという「一般論」(抽象的な話)を最初に確認し、その上で「個別の事例」(具体的な話)に移りました。

今回、共感について考える事例として用いたのは「タイのCM」です。以前に、タイのCMの中で話題になっているものがYouTubeに上がっていて、私自身、とても心を揺さぶられたものがいくつもありました。そのうちの5つを取り上げ、見終わったあと、どれが最も印象的だったか理由を含めて考えてもらう形にしました(ただ、5つはちょっとお腹いっぱいだった感じでした)。

生徒によって、最も印象的だったCMに違いがあり、また同じCMを選んでいても、理由は異なる角度から捉えていたりして、意見の共有の時間はとても有意義でした。

しかし、これだけでは印象的なCMの感想を述べあう授業で終わってしまいます。
そこで授業の後半では、「個別の事例や経験(今回の場合はCM、そして意見の共有)と倫理の知識・情報とが繋がっていること」の確認をしました。

それから「授業での気づき・学び(今回は共感)は、今後の生活にどのように活かすことができ、また気づき・学びをさらに広げたり、深めたりするにはどんなアイデアがあるのか」という未来に向けた指針(ネクストアクション)も伝えました。

倫理の知識・情報との繋がりでは、CMで出てきた親の愛情の話は「孔子の仁」と繋がってくること、他のCMで出てきた自分の豊かさを後回しにして他者への施しをする話は「J・S・ミルの精神的快楽」と繋がってくることなどについて、一緒に確認しました。

今後の生活への活かし方ついては、自分の考え・意見が正しいと考えてしまうと、独断・偏見・先入観によって対立が生まれるので、「モンテーニュのク・セ・ジュ」に立ち返り、自分の考え・意見は唯一解ではなく、他者の考え・意見を尊重しようとする寛容な態度が大切になることを伝えました。

そして、気づき・学びを広げる深めるアイデアについては、今よりも「多面的・多角的」になれるように、「本を読むこと」を伝えました。様々な本を読むことによって、或る問題を細かく「多面的」に分析するヒントになる「知識」が得られます。また本の設定によっては、自分とは異なる立場の人の気持ちに触れる機会もあり、それは単なる立場の違いだけではなく、自分が訪れたことのない地域の価値観・文化の違いとの出会いもあれば、自分が生きている現在とは違う時代(過去や未来)の価値観・文化との出会いもあります。つまり本は、空間や時間に縛られない「交流」の機会を多く提供してくれて、それが或る問題を広く「多角的」に分析するための大きな助けになります。

そんなことを伝え、2月からの自宅学習期間にたくさんの本を読むことをアドバイスしました。

本来ならば、こういった授業展開を毎回の授業でできていなければならないのですが、私の場合、情けないことにまだまだ手探り状態です。しかし、1月の高校3年生に対する授業の中に多くのヒントがありました。これを他学年の授業に活かしていこうと思います。

生徒に毎週3回、送っている社会コラムでは、「社会『で』教える」の構造で綴ってきたものの、それは結局、頭(理念・理論)だけだったわけです。今後は、頭と身体(実践)が融合した授業の中で「社会『で』教える」を具現化することに力を注いでいきます。
「社会『で』教える」の具現化とはどのようなものか、これも私にとっては大切な探究課題です。「探究学習のらせん構造」には終わりはなく、試行錯誤の日々が続きますね。

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