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❖今こそソフトパワーが「オコジョ」になるとき~Now is the time for soft power to become a "stoat"~❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年3月4日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆今こそソフトパワーが「オコジョ」になるとき◆
オリンピックやパラリンピックの政治利用は認められないとIOCやIPCは言う。
The IOC and IPC say that political use of the Olympics and Paralympics is not permitted.

確かにオリンピックやパラリンピックはスポーツの祭典と同時に平和の祭典として位置づけられているので、過度に政治性を帯びてしまうことが好ましいものではないことは理解できる。

そして大会に出場する選手が、オリンピックやパラリンピックでの注目を、何らかの政治的メッセージを広める道具として利用するのは、競技に真摯に取り組む姿勢とは言えないというのは分かる。

だが、現在起こっているロシアによるウクライナ侵攻に対して、「戦争反対」と平和を訴えることは政治利用なのだろうか。むしろ平和の祭典というものに真剣に寄り添った態度に映る。もしウクライナの選手を含め、各国の選手が、フラットな笑顔で競技に臨むとすれば、そちらの方が現実に目を背けた不自然で不気味なものに思えてしまう。
But is it a political use to appeal for peace as "against war" about Russia's invasion of Ukraine? Rather, it seems to be an attitude that is seriously close to the celebration of peace. If players from all over the world, including Ukrainian players, enter the competition with a flat smile, it seems unnatural and eerie, looking away from reality.

「オリンピックやパラリンピックの政治利用は認められない」ということと、「オリンピックやパラリンピックは政治から完全に切り離された世界として扱う」ということは別物だろうか。

どこかで戦争が起こっていても、後者の捉え方で、オリンピックやパラリンピックを平然と行うのならば、それはオリンピックやパラリンピックを何としても実施したいという主催する側の都合が優先されているように感じる。

そして、ウクライナ情勢の存在を感じさせないような形で、大会を平然と実施することは、「ロシアの侵攻の黙認」と捉えることであり、結果として、「平然と実施するという『不作為』の形で、『実質的』に、パラリンピックを政治利用している」ということになる。
And, to carry out the Games in a calm manner, ignoring the situation in Ukraine, is regarded as "acknowledgement of the invasion of Russia", and as a result, in the form of "inaction" to carry out in a calm manner, in effect, We are using the Paralympics politically.

特に昨今のIOCやIPCの対応を見ている限り、オリンピックやパラリンピックの理念を前提にし、それに純粋に則ったものには思えない。

北京冬季オリンピックに際し、国際オリンピック委員会 (IOC)のバッハ会長はウイグル問題に関する質問に対して、ロイターの報道によれば「IOCの立場は、政治的に中立であり、政治問題にはコメントしない」、「なぜなら、もし私たちが政治的な立場に立ち、政治権力の緊張や対立の中に入り込んでしまうと、大会を危険にさらすことになるからだ。あらゆる政治状況について同意している政府のオリンピック委員会の間でのみ、オリンピックが開催されることになってしまう。大会の普遍性が失われ、オリンピックはその使命を失い、それは終わりにつながるだろう」と発言しているにも関わらず、動向が心配されている中国の女子テニス選手とは積極的に関わりアピールをしていた。

北京冬季パラリンピックにおいても、先日まで国際パラリンピック委員会(IPC)はロシアやベラルーシの選手の大会参加を容認していた。そして、その判断がそのまま現実になっていたら、「平然と実施するという『不作為』の形で、『実質的』に、パラリンピックを政治利用している」ことになっていたと思う。

だが、IPCは開幕直前になってその判断を撤回し、ロシアやベラルーシの選手の大会参加を認めないとした。産経新聞の報道によれば「複数の選手やチームが出場を見送る意向を示し、大会の継続にも影響が出ていた。選手村の状況もエスカレートしており、選手の安全と安心を確保するのが最も重要」とIPCは理由を述べている。

IPCが最初から理念を前提にし、平和や安全・安心の実施を第一に考えていれば、最初から参加を認めないという判断になっていたと思う。しかし直前の撤回になったのは、最初はロシアや中国への政治的配慮から「平然と実施するという『不作為』の形で、『実質的』に、パラリンピックを政治利用する」つもりだったが、各国選手の辞退の動きがあり、大会実施自体が難しくなる可能性を回避したかったからであり、最終的には「何としても実施したいという主催する側の都合」が上回ったのである。

つまり、最初の「理念前提❌で政治利用🔺or⭕️」という判断から、最終的に「理念前提❌で、商業主義⭕️」になっただけであり、全くパラリンピックの理念に基づくものとは考えられない。

今回の撤回は、平和の祭典という理念から純粋な形で導かれた判断ではなかったが、結果的には、ロシアによるウクライナ侵攻を非難する平和側のメッセージになった。

核兵器の使用をちらつかせる危機的状況があるため、軍事的措置という最も強力なハードパワーは簡単に使えない。また、経済制裁というハードパワーは各国で貿易依存度やエネルギー依存度の思惑に差異があり足並みが揃っていない。

こういう時こそ「ソフトパワー」が大切である。「ソフトパワー」はアメリカの国際政治学者であるジョセフ・ナイが提唱した考え方で、文化や政治のメッセージが持っている影響力である。昨日、政治においては国連総会の緊急特別会合が賛成多数で非難決議を採択した。文化においても、(IPCの不純な動機が混ざってはいるが)ロシアやベラルーシの選手のパラリンピック参加を認めない判断がなされた。
At such times, "soft power" is important. "Soft power" is an idea advocated by American international politician Joseph Nye, and is the influence of cultural and political messages. Yesterday, in politics, an emergency special session of the UN General Assembly adopted a condemnation resolution with a majority in favor. In terms of culture as well, it was decided not to allow Russian and Belarusian athletes to participate in the Paralympics (although mixed with the impure motives of the IPC).

見た目かわいいが実は凶暴な一面を持っている「オコジョ」という動物がいる。「ソフトパワー」もソフトという響きなので、弱い・柔和というイメージに思われてしまうが、ソフトはソフトなりの戦い方がある。

ここからが、「ソフトパワー」の正念場である。
From here, it is the crucial moment of "soft power".

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